読書の愉楽

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津村記久子「ポトスライムの舟」

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 本書には二編収録されている。表題作の「ポトスライムの舟」は、三十を目前にした工場の流れ作業に従事するナガセを主人公にした物語。彼女は休憩所に貼ってある世界一周クルージングのポスターを見て、その費用がいまの自分の年収とほぼ同額の163万だということを知る。

 

 ナガセはいまの仕事に就く前に勤めていた会社で強烈なモラルハラスメントにあい、働くことの恐怖を克服するために一年間を棒にふっている。いまの職場は人間関係にも恵まれ、無視されることも恫喝されることもない。無為に過ごした日々への反動か、いまは工場のライン作業の他に週6日は大学時代の同級生が経営するカフェで夜のアルバイト、土曜はお年寄り相手のパソコン教室の講師、その合間を縫って家ではデータ入力の内職までしている。少しでも時間があれば何か仕事をしている毎日なのだ。

 

 単調だが安定した毎日。大きな事件もなければ、ドラマティックな出会いもない毎日。しかしナガセはそんな日々の中で、はたと気づいてしまう。
 
 『時間を金で売っているような気がする』
 
 薄給の給料明細を見ながら、ナガセは時間を売って得た金で細々と生活をしている自分の頼りなさに吐き気さえ催してしまう。そして彼女はその状況を打破するために『今がいちばんの働き盛り』という考え方にしがみつくようになる。生きるために薄給を稼いで、小銭で生命を維持している自分が工場でのすべての時間を世界一周という行為に換金することもできるという大胆な考えが彼女の生きがいになる。
 
 津村記久子の小説を読んでいると予定調和から大きく外れた展開や親しみやすい世界観の中にある確固たる信念みたいなものをいつも感じる。何気ない日々を描いているようでいて、そこには滋味やグイグイ引きこまれる要素が満載なのだ。ナガセをとりまく人間関係や、変化してゆく彼女の思考は読む者自身にもふりかかって自分を見直すきっかけとなる。そこには安易にはいかない人生の道程への呻吟がふくまれる。しかし、同時にそれはよすがともなる。この相反する要素が身の内に静かに沈殿してゆく。

 

 もう一編の「十二月の窓辺」は主人公の名こそ違うが、「ポトスライムの舟」の前日譚ともいうべき作品。そう、ここではひどいモラルハラスメントに直面する女性が描かれる。これを就職前の若人が読めば就職に対する恐怖で萎縮してしまうのではないかと思えるほどにひどい状況だ。

 

 作者自身が体験してきたであろうこれらの出来事は多かれ少なかれ、誰でも経験があるのではないだろうか。未熟な自分と理不尽な上司の要求が重なったとき、そこには暗雲がたちこめる。ぼくも読んでいて若い頃に感じた自分のふがいなさへの苦悩や、上司への抑えきれない怒りなどを思い出した。

 

 ラスト近くに主人公ツガワが上司に言い放つ一言が、決めゼリフでもなんでもないのに妙に溜飲の下がる思いがした。ほんとよくがんばったね。

 

 最後に津村記久子の小説を読んでいると、ハッとする瞬間が何度かおとずれる。それも彼女の小説を読む醍醐味なのだということを書いておこう。いったいどういうことなのか気になった方は是非お読みください。