読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

マイケル・バー=ゾウハー「エニグマ奇襲指令」

イメージ 1

 ナチス・ドイツが使用していた実在の暗号機『エニグマ』。ドイツ軍はこの暗号機を占領下のフランスに27台所有していた。そのうちの一つを悟られることなく盗みだす。この限りなく不可能に近い密命を帯びて、かつてゲシュタポから金塊を盗んだことのある大泥棒ベルヴォアールが英国からはなたれる。果たしてベルヴォアールは無事任務を遂行することができるのか。

 

 物語の骨格は非常に堅固でゆるぎない。エニグマという特別な暗号機の存在。大戦の帰趨を左右するその必要性。主人公ベルヴォアールの位置づけと背景。ドイツ軍の情勢と内部分裂。様々な条件が巧みにからみあい、物語を盛り上げる。また敵方のドイツ軍情報部ルドルフ・フォン・ベック大佐の人物像も際立っていて、ベルヴォアールとの丁々発止のかけひきはいやが上にもページを繰る手をはやめる。

 

 戦争冒険小説として、本書は不動の位置づけを得ている。物語構造が単純なので、複雑な迷路を進むかのような不明瞭な部分は存在せず、いたって健全に物語に没頭できる。しかもラストでは意外な事実が判明して軽いジョブを与えてくれるというサプライズまでついている。まさにいうことなしの傑作なのだ。

 

 といいたいところだが、現代のエンターテイメントに毒されているぼくにとって、本書はいささか盛り上がりに欠けたのである。確かに、決死のフランス潜入や、その後に続く情報漏洩による危機の連続、さらにエニグマを奪取する過程のスリリングな展開などなど、短いページ数の中で抜群の構成力でもって描いてゆく手腕には舌を巻いた。己のみを信じ、道を切り開いて才覚のみで危機を切り抜けてゆくベルヴォアールの姿は昔ながらの義賊でありわれわれには馴染み深いかのルパン三世を思い起こさせてくれるし、敵のフォン・ベック大佐も切れ者でありながら女に弱いところがあったりして造形が秀逸だった。

 

 しかし、しかしだ。本書にはもう一回くらい山場があってもよかったのではないかと思ってしまうのである。勿論これで充分、本書は傑作だと感じておられる方が多数なのはよくわかっている。でも、ぼくは物足りなかった。欲張りな性格がアダとなった。残念なことだ。