読書の愉楽

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彩瀬まる「暗い夜、星を数えて 3.11被災鉄道からの脱出」

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 著者の彩瀬さんは、震災のあったあの日に福島県のJR常磐線新地駅で被災、たまたま乗り合わせた女性と一緒に逃げて一命をとりとめた。きままな一人旅ゆえまわりは見知らぬ人ばかり、震災の混乱の中、情報も錯綜しいったい何が起こっているのか把握もできないまま避難所の中学校に身をよせる。

 

 読んでいて驚いたのは、あまりにも入ってくる情報が少ないこと。地震が起こった瞬間から携帯電話はつながり難くなり、誰もが自分の判断で行動しなくてはいけない状況になるのだ。さっきまで普段の状態だったのに一瞬で世界が崩壊、まわりの状況を頭の中で整理できないまま死の予感にとらわれながら必死に逃げる。津波に関しても、予想はできていたが当初の噂では三メートルだといわれていたのである。まさに錯綜と混乱だ。そんな中、著者は避難所で一緒になった地元の女性の好意で彼女の家に避難することになる。暗闇の中に射す一条の光だ。死と隣り合わせになるという非現実の世界でふれる温かい人の心。しかし、追い討ちをかけるように現実はさらなる過酷な状況に人々を追い込む。そう、原発事故だ。

 

 福島第一原子力発電所の爆発事故。しかし、その第一報が防災放送のスピーカーから流れたすぐ後に誤報との追加放送が流される。一瞬にして増幅された恐怖が一旦はおさまる。被爆の恐怖は目に見えない恐怖だ。だから誰もが情報に左右される。その後数時間して今度はテレビのニュースで原発の爆発事故は本当にあったことだったとみんなが知ることになる。もしかしてこの錯綜する情報には人為的な操作があったのではないか。頼みの綱が断ち切られた瞬間だ。いったい何を信じて行動すればいいのか、それさえすらわからなくなってしまう。

 

 著者は被災した日から五日間を現地で過ごした。そこには地元の人々の温かい援助があった。自分は部外者であり、帰るべき家もあるのに被災された人たちに助けてもらっている。そんな感謝の気持ちにあふれる一方、その後の経過の中で人間の一番見たくない部分にも直面させられてしまう。風評被害や福島の人々に向けられる差別的な目。震災被害に便乗して東電から多くの金を引き出そうとする人々。本書には著者が目にし体験した事実が真摯に描かれている。冷静な描写の中から立ち上ってくる困惑と不安の気持ち。そこにいて、そこで見た人だけが書くことのできる真実。本書を読んでまたあの震災の生の声に触れた気がした。