本書を読んで、まず驚くのはその自由自在な発想だ。もう人間の想像力の限界をとび越えてしまっているかのような予想もつかない展開や描写に圧倒されてしまう。本書の主人公は古代アイルランドの伝説の中で一番有名な英雄クー・フリンなのだが、この十七歳のまだ髭もはえそろってない少年が鬼神のような活躍をしてアイルランド連合軍相手にたった一人で迎え撃つのである。何千人もの兵士をたった一人で?そんなの不可能な話だ。だが、クー・フリンはそれをやってのけてしまう。そこで登場するのが「ねじり首環(トルク)の発作」だ。これはもう人間版トランスフォーマーであって、ほとんど化け物みたいな姿に変容してしまうのである。この場面だけをとっても現代のわれわれの想像力の範囲を軽々と超越しているので、ぼくは理解するまで四回も読み直してしまったくらいなのだ。それでも正直なところまだうまく思い描けていないくらいだ。また、彼の扱う特別な武具である「ガイ・ボルガ」は「袋状にふくらむ槍」という意味を持つそうで、それはおおむね肛門から入れられ、体内に入ったとたん三十本の逆とげをいっせいに開くことになる。考えるだけで恐ろしい武器であり、こんなものいままで見たことも聞いたこともない。といった具合に本書は目を瞠るような驚異にみちた物語となっているのだ。
また本書の体裁は古代の伝説をそのままカーソンが現代英語に翻訳し、それを日本語に訳してあるゆえに、言い回しや話の展開に口承独特の雰囲気がそのまま保たれており、それがまた伝説に彩りを添えている。やはり古代の伝説はこうでなくっちゃって思ってしまう。まるで『指輪物語』の世界とそっくりなのだ。いい意味で大らかであり時にユーモラス、でも、首はいっぱい飛んでしまうし、脳みそも散々ぶちまけられるし、四肢も限りなく切断されてしまう。でも、そこに凄惨さは感じられない。身体を切断されていても吟じるように話す人もいるし、目の前で息子が殺されても悲嘆にくれることはない。通常の感情表現を超越しているという点で、やはりこれは伝説なのだ。
クー・フリンは、ぼくの中ではかなり気になる存在だった。アイルランド文学ではよくその名を目にすることがあり、いったいどんな奴なのかと思っていたのだ。もちろんこの間読了したジョイスの「ユリシーズ」にもその名は登場していた。しかし、彼が大活躍するこの話がまさか気まぐれな王と女王の寝物語に端を発することになっていたとはねえ。しかも牛を横取りするというだけでこれだけの大騒動になってしまうのだがら、やはりこの伝説は大らかの極致でありそういった意味ではナンセンスもここに極まれりという感じだった。いやあ、古代の伝説ってほんと凄い。まったく。