読書の愉楽

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ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ Ⅱ」

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 ようやく第二巻読了なのである。これで丁度折り返し地点となる。あいかわらず凄まじい訳注の嵐で、あっちこっちとページを繰るのがとても忙しい。かといって訳注を見たところで、その半分も理解できなかったり、ダブリンの市街の説明だったりするからほとんどは流し読みなんだけどね。
 
 第二巻に収録されているのは第二部の五つの章、すなわち――――
 
  9 スキュレとカリュブディス

 

 10 さまよう岩々

 

 11 セイレン

 

 12 キュクロプス

 

 13 ナウシカ

 

 と、ここで前回、第一巻の収録分を明記し忘れていたので、ここに挙げておこう。

 

 第一部
 
  1 テレマコス

 

  2 ネストル

 

  3 プロテウス

 

 第二部

 

  4 カリュプソ

 

  5 食蓮人たち

 

  6 ハデス

 

  7 アイオロス

 

  8 ライトリュゴネス族
 
 しかし、長いね。たった一日のことを描くのにどうしてこれだけ長いのか。それはひとえに作者ジョイスが、その知識を総動員してあらゆる可能性を試しているからなのだ。
 
 第一巻ではさほど気にならなかったのだが、この第二巻ではジョイスが文体をあれこれ変えていろんなパロディを仕掛けてくる。それは「セイレン」あたりから少しづつページを侵食しはじめ「キュクロプス」で頂点をむかえる。民事訴訟文書、アイルランド文芸復興期、アイルランド古詩、子供用初級読本、中世ロマンス、アイルランド伝説、心霊研究協会の報告書、新聞の記事などなどあらゆる文体のオンパレード。まあよくこれだけいろんなことを試せるものだと感心してしまう。「ユリシーズ」が百科全書的メガノベルといわれているのは知っていたが、それはそこかしこにはめこまれた数々の意味だけでなく文体でもこれだけの模倣をしているゆえのことだったのだ。
 
 また「ユリシーズ」にはいくつかの難所があって、たとえば一巻では全編意識の流れで描ききった「プロテウス」や「ライトリュゴネス族」がそうだった。本書はそれがほとんどを占めていて、普通におもしろく筋を追う形で読めたのは最後の「ナウシカア」の章だけだった。ここはまるでオースティンの小説のような筆勢で、至極読みやすかった。しかし、そのロマンス小説風の世界で描かれるのは露出と自慰なんだけどね。
 
 しかし、そんなひたすら読み難い「ユリシーズ」なのだが、これが習慣になるとクセになる。二十世紀を代表する小説のひとつといわれている本書にたいして失礼な物言いかもしれないが、ほんとそのとおりなのだ。そういう気持ちで意気揚々と第三巻を読み始めたら、もうのっけから凄まじい文体で仰け反ってしまったのだが、いやいやがんばって読みますよ。でも、古文調って、意味わかんないなぁ。
 
――――――ダブリン、1904年6月16日。ただいま午後9時。