読書の愉楽

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カルロス・バルマセーダ「ブエノスアイレス食堂」

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 原題を見ると「Manual Del Canibal」とある。スペイン語はよく知らないが、それでもこれの意味するところが「食人者のマニュアル」だということはわかる。本書の1行目も以下のような出だしだ。『セサル・ロンブローソが人間の肉をはじめて口にしたのは、生後七ヶ月のころのことだった。』そしてある意味どんなホラーよりもスプラッターな、かぎりなく猟奇的な描写が続く。もしかすると良心的な人々はここで怖気づくかもしれない。しかしそれは二ページほどで終了し、その後は本書の舞台となる「ブエノスアイレス食堂」の長い長い歴史の話となる。それは十九世紀の末に始まるアルゼンチンとイタリアの歴史をなぞる旅でもあった。イタリア移民である双子のカリオストロ兄弟がアルゼンチンの観光地マル・デル・プラタに建てた二階建ての屋敷が以後七十年の長きにわたり数多くの食通の胃袋を満たすことになるブエノスアイレス食堂のはじまり。そしてそれが冒頭の場面である1979年の出来事にまでつながるのだが、おもしろいのはこの過程で語られる数々のエピソードが一直線の時系列で統一されていないところだ。それが意図的なものなのか作者のきまぐれなのかわからない書き方なのが本書のミソ。短めの章割りで話が進んでいくわけなのだが、それが微妙な具合に折り重なっており、章は進んでいくのに時系列は少し後戻りしていくという感じなのだ。そうすることによってかすかな混乱とともに物語に奥行きが与えられ、重層的な印象を受けることになる。それがいいか悪いかは読む者の判断にまかせられると思うのだが、ぼくはこれがとても気に入った。なかなか面白い試みだと感じた。

 

 たった二百数ページの薄めの本なのに、長い歴史と数多くの人々と関わったおかげでとても長い物語を読んだような満足感が得られた。それに加えて冒頭で登場した食人者のセサル・ロンブローソが作る究極の料理に話が及ぶにいたって中間に挟まれた普通小説(でもめっぽう面白い)がトーンを変え犯罪小説(ノワール?)に変転してゆくのである。なんとも奇妙ではないか?いったいどういう結末がまっているのだろうかと興味津々だったが、なるほどこうきましたか。最後まで期待を裏切らない小説だね本書は。

 

 訳の文章に少々頭をひねるところもあったのだが、本書を読めて本当によかった。まだまだこんな書き方があるんだと思い知った一冊だった。だから小説を読むのは楽しい。オススメです。