読書の愉楽

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スティーヴン・キング「11/22/63(上下)」

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 とうとう読み終わってしまった。本書を読んでいて久しぶりにあの素晴らしい小説に特有の『読み終わるのが嫌だ、でも先が知りたい』ジレンマにとらわれてしまった。キングはぼくにとって海外の小説に目をむけるきっかけになった作家でもあり、「不眠症」以降少し離れた時期もあったが「悪霊の島」からはまた新刊が刊行されるたびに読んできた。後年になって、また初期のころのようなワクワクする小説を書いているのが御年66歳になるスティーヴン・キングという作家なのだ。

 

 今回キングがとりあげたのはSFの王道であるタイムトラベル。タイトルの『11/22/63』はJ・F・ケネディが暗殺された日。本書で描かれるのは時間を遡ってその暗殺を阻止しようとする男の物語だ。

 

 実をいえばホラーの帝王といわれているキングはいままでにも結構SFテイストの作品を書いている。デビュー作の「キャリー」からして扱っているのはテレキネシスだし、アメリカ本国では絶対的1位の人気を誇る「ザ・スタンド」にしてもはじまりはパンデミックSF、「デッドゾーン」「ファイアスターター」はそれぞれクレアボアイアンスとパイロキネシスを扱った超能力物(そういえば「デッドゾーン」もラストは大統領暗殺の阻止だった)、「トミー・ノッカーズ」と「ドリームキャッチャー」と「アンダー・ザ・ドーム」は大きな括りでいうところのエイリアン物だった。大きな括りとなれば中編「霧」もSFに分類されるのかな?そうそう「不眠症」も特殊な能力を描いた点でいえばSFの範疇に入るね。

 

 そう、キングは結構SF寄りの作品を書いているのだ。しかし、そんなキングもSFの定番であるタイムトラベル物はいままで描いてこなかった。それを真っ向から描いたのが本書なのだ。

 

 ケネディの暗殺の阻止をするということは歴史を改変するということで、それがいったい未来にどのような変化をもたらすのか?という大問題が前提としてあるわけなのだが、本書の主人公であるジェイク・エピングはそれがきっと良い未来に結実すると信じて行動する。タイムトラベルはとある町の食堂の倉庫の隅にある《穴》を介しておこなわれる。そこを通り抜けると1958年9月19日の午前11時58分の同じ場所へと導かれる。同じ穴を通って未来へ戻ると出発の二分後に帰ってくる。これは絶対条件であり、何度試してもこの時間は変えることができない。また、過去に遡行して何かを変えたとしても、現代に戻って再び過去に行くとそれはリセットされてしまうという決まりがある。

 

 そして、この縛りがこの物語を一読忘れがたいものにしているのだ。ジェイクは過去に行き、ケネディが暗殺される日までの5年間を過去ですごすことになる。キングはそれを郷愁とともに彼特有の執拗さで丹念に丁寧に描いてゆく。いってみればジェイクは異邦人だ。たった50年ばかしのタイムスリップなのに、そこには現代の暮らしに慣れた者には驚きの日々が待っている。食べ物、風紀、生活、道徳、空気などのすべてのものが現代とは著しく違っているのだ。やがてジェイクはその生活に溶けこんでゆく。職を得て、友人を持ち、恋人と幸せな日々をおくってゆく・・・・・ああ、だめだ。これ以上は書けない。というか書いてはいけない。これ以上を書くと本書をこれから読む方の興を削ぐことになってしまう。でもこれだけは言っておきたいので最後に一言。

 

 本書が一読忘れがたい印象を残すのは、キングらしからぬ恋愛の要素が色濃く反映されているからなのだ。タイムトラベルによって結ばれた恋がいったいどういう結末をむかえるのか?キングはその答えを最上の形でもっとも切なく、もっとも高らかに謳い上げてゆく。本書のラストシーンは涙腺の弱い方なら落涙必須のキング作品史上他に類をみない美しい幕切れとなっている。
 未読の方はどうかご自分の目で確かめていただきたい。グレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」をBGMにね。