七十歳を越えた男女の恋模様を描く長編(分量的には中編)小説である。主人公である嶺村浩平は妻に先立たれて一人暮らしをしているが、大学生時代の知己で妻の友人でもあった稲垣重子と再び巡り逢うことになる。そこから紡ぎだされる物語は、ことさらピュアでおそろしいほど初々しくて限りなく美しい。邪推もなく、相手を思いやり、老いらくの恋に戸惑いながら震える指でひらがなばかりのメールを打つ浩平の姿に読んでるこちらもいつしかときめいてしまう。
こんな気持ち久しく忘れていた。まるで初めて恋をする中学生のような気持ちだ。歳をとって、老い先短い身となったとしても、こんなに素敵な気持ちを持続できたら、なんて素晴らしいことだろう。そういう前向きで光りに満ちた未来を感じさせてくれる本なのである。
また本書には驚くほど豊かな表現が散りばめられていて、それもまた読書の喜びを高めてくれる。
例えばこんな感じだ。
『問い返す重子の笑みをたたえた目尻の皺が、急に人懐こい影を浮かべるのを浩平は見つめた。こんなふうにいま彼女と話しているのが信じられぬ気持ちだった。お互いに意識して演じているのでなければよいが、と彼は疑った。錆びついた車が油を差されて必要以上に廻り始めそうな危うさがあった。』
『言い捨てるような言葉の上にたちまち歳月の降り積るのが見えた。』
『約束を前にした数日は、いつもと違う光に包まれている気分で時を過した。』
『言葉の幅いっぱいに中身が詰っている静かな口調で重子が告げた。』
なんとも的確で、さりげなく構築美を感じさせる文章ではないか。こういう表現をもっともっと吸収したいと心底思ってしまった。
さて、この老いらくの恋の行方はどうなるのでしょうか。それが気になった方は自分の目で確かめていただきたい。これが小説というものだ。なんでもない題材が文章でこれだけ完成された作品になってしまうのだ。
ほんと、素晴らしいことではないか。