平易な語り口で紡ぎ出される物語は、その取っ付きの良さからは想像もできない大きな何かをぼくの中に残していった。
本書に登場する三歳のランちゃんと一歳半のキイちゃんは高橋家の大事な子どもたちである。だが、キイちゃんはどうも言葉の発達が遅れているようで、いつまでたっても「どっ、どっ」とか「たっ、たっ」としか話さない。それを少し不安に感じているお父さんとお母さん。しかし、不思議とランちゃんはそんな意味不明なキイちゃんの言葉を理解してしまう。
そこに登場するミアちゃん。彼女は異端であり、美の象徴であり、残酷さというものを体現している不思議な少女。彼女の登場によって物語は、別の方向へ無限大に枝分かれしてゆく。
過酷な運命に立ち向い「悪」と戦う使命を担わされたランちゃん。彼を導いていく片言英語を話す少女マホ(彼女の正体が判明したときは思わず声が出てしまった)。次々と現れては消えてゆく「悪」との試練。それは血みどろの戦いでもなく、身の破滅をまねく危険な戦いでもなく、生死を迫られる究極の戦いでもない。
だが、それは大いなる試練であり、荒んだ心や、自己欺瞞に陥った精神や、他人を思いやる気持ちを忘れた者にはとうてい立ち向うことのできない大きな戦いなのだ。
本書を読んでいると、ユーモアさえ漂う平易な文章の陰に隠れているあまりにも辛い現実に直面しそうになって何度も涙が流れそうになった。ここには清い精神と本質を見極める確かな目を養う大切さが描かれており、「悪」を象徴するあらゆる出来事に対する正しい選択が描かれている。だが、それはストレートに我々のもとには届いてこない。もしかすると、ぼくの解釈は間違っているのかもしれない。本書から受ける影響は読者の数だけあるのだろうと思う。それはどの本にでもいえることなのだろうとは思うが、本書には特別その感が深い。読んで良かった。久しぶりの高橋源一郎、すごく堪能させてもらった。