読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

藤谷治「誰にも見えない」

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 主人公は14歳の女の子。彼女が誰に見せるでもなく思いのままを綴ったノートという体裁である。

 これが、四十過ぎの親父が書いた本とは到底信じられない感性で描かれている。実際、中学生の女の子が読めばどれくらい違和感があるのか興味があったので、我が娘(14歳)に読ませようとしたのだが、これはまだ実現していない。でも、おそらくそれほどの違和感はないのではないかと思うのである。この自由で脈絡のない、ある意味固定観念にとらわれていないまっさらな雰囲気はなかなかのものなのだ。

 で、そんな初々しくて少し毒を含んだイニシエーション真っ只中の彼女の日常がびゅんびゅん過ぎ去っていくのだが、そこには大人を見上げることをやめた宙ぶらりんの状態に戸惑う一人のピュアな少女がいて大昔にその時を過ごしたぼくの心を掻き乱していくのである。

 本書のタイトルはあまりにも安易に受けとれるが、この思いは思春期に誰でも一度は感じたことがあるのではないだろうか。自分は人と違う。こんな自分が嫌だ。誰も自分のことをわかってくれない。つのる疎外感はとどまることを知らず、その大きさに押しつぶされそうになってしまう。そういう思いを内に秘めたまま、何事もないように友達と笑いあっている自分にまた嫌気がさす。自分をとりまく世界とうまく噛合ってない奇妙な感触は不安となってかえってくるし、そういった漠然とした悩みが常に頭から離れない状態にうんざりしてしまうのである。

 まことに思春期というのは難儀なものなのだ。あの頃のぼくもそうだった。その時の自分の状態に対する悩みと将来に対する不安が重なってなんとも息苦しい状態だった。身体の変化に戸惑い、心の成長についていけなかったというのが本当のところだろう。

 とにかく本書を読んでそういった事どもがとめどなく頭の中をかけ巡った。だからストーリーの紹介は二の次・・・・・というかもうしない。読みたくなった方は読んで欲しい。ああだ、こうだ言ってる中学の女の子の話が、とても新鮮なのだ。藤谷治は、ほんとウマイなぁ。