読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

北の所領

 窓の近くを通ったとき、ツグミの激しい鳴き声が聞こえたので、思わず立ち止まって外を覗いた。

 二羽のツグミがウバメガシの梢のまわりで激しく飛び交っていた。どうやら、巣を狙う外敵から卵を守ろうとしているらしい。

 その必死な姿を眺めていると、アランゾが足早にやってきた。

 「旦那さま、北の所領にて小作人の一群が決起した模様で・・・・・」

 わたしは、はやるアランゾの口先を人差し指一本で制した。

 「ちょっと待て、ほら、あそこのツグミを見てみろ。どうして、あんなに赤裸々に生を謳歌できるのか不思議に思わんか、アランゾ」

 一瞬、何を言われたのか分からなかったようだが、窓の外の夫婦ツグミを見止めると、アランゾは軽く咳き込んで「こんなときに、何をおっしゃっておられるのですか、旦那さま!」と声を大きくした。

 もとより彼がわたしの意見に同調するとは思ってもいなかったので、わたしはそのまま踵をかえして歩を進めた。

 「旦那さま!旦那さま!如何なされますか、北の所領での反乱は・・・・・」

 すがりつきそうなアランゾの剣幕を無視して、わたしは別の感慨にふけっていた。それというのも、永らく記憶の隅においやっていた過去の一場面が『北の所領』という言葉でよみがえってきたからだった。

 もともと北の所領は祖父の土地であり、その祖父が今日の我々一族の礎を築いた人物なのである。

 わが祖父リッジウェア卿は泥竜退治で命を落とした。その時は一週間ものあいだ所領の民が『永旅の火』を絶やすことなく祈り続けたという。まだ幼かったわたしは、そのことを知るよしもなかったが祖父の逸話は数多く残っており、その中でわたしの一番のお気に入りが『パンボス狩りの一件』だった。

 パンボスとは、北の所領にだけ生息する身の丈6メートルはあろうかという巨鳥である。祖父はその鳥に目がなく、狩猟の季節になると誰よりもはやく森に入って、その年はじめての獲物を仕留めるのを自慢にしていた。

 ある年のこと、そのときも誰よりもはやくバンボスを仕留めた祖父は、重機馬に曳かせて揚々と引き上げてきたまでは良かったが、はやる気持ちがそうさせたのか、これだけは忘れてはいけないといわれている『体液枯らし』を完全に行っていなかった。循環器機能が特殊なバンボスは、通常の動物のように逆さに吊って頚動脈を切って行う血抜きが通用しないといわれている。だからバンボスを仕留めたら、すぐさま首を切り落とし、二つある心臓と胸の真ん中にある脾臓に穴を開け、完全に血を抜いた後に鑑真蠅の幼虫を数十匹、人間の拳がすっぽり入ってしまう体腔管に放ち、決して抜きさることのできない露泌液を食いつくさせなければならないのだ。だが、その時の祖父は心臓の一つに穴を開けそこなっていた。心臓に溜まって抜けきらなかったバンボスの血は時間の経過と共に変質し体腔管に入りこんでいた鑑真蠅の幼虫と結合してその成長を促進させた。

 だから祖父が館についた時には、バンボスの腹腔が内側から食い破られて子犬ほどにも成長した鑑真蠅が飛び出してきたのである。当然のごとく鑑真蠅は、悪魔の交合といわれる求愛のダンスを踊り狂い、館は壊滅寸前まで追いやられたというのだ。

 そのとき祖父は、自ら招いた災厄の惨禍を目の当たりにして、ひとことこう言ったそうだ。

 「是非もない」

 わたしはそのことを聞いて、祖父が大好きになった。館が壊滅するほどの打撃をうけて『仕方がない』とは天晴れな物言いだと感心したのだ。しかも祖父はボロボロになったバンボスの肉を取り分けて、その場で料理して、さも旨そうに食したというのである。これを聞いてわたしは、さらに祖父を愛した。なんともチャーミングな爺さんではないか。

 なぜなら、バンボスの肉は切り分けた状態では固くて口にすることができない質の肉なのだ。そのままでは悪食でしられる『霊守の森』の死神猫でさえ決して食べようとはしない。たとえそれに火を通したところで靴の底を焼いて食べてるようなものなのだ。

 バンボスの肉の正しい調理法は別の機会に紹介することにして、そのときの祖父は確かに英雄だった。

 間違いなく、わたしの中では、そのときの祖父は英雄だったのだ。

 そんな祖父は英雄として、英雄のまま泥竜に屠られた。見事な最期といえるだろう。

 「旦那さま!どうなされました!いまは一刻の猶予もありませんぞ!はやく、はやくご決断を!」

 アランゾの切迫した声でわたしは我にかえった。そして一度言ってみたかったあのひとことを口にした。

 「是非もない」