首長姫はしずしずと音もなく歩いた。朝ぼらけの研ぎ澄まされた空気が頬をピンと張りつめさせる。
庭のイタドリについた朝露の雫がきらきらと光っていたが、そこに巣をはった女郎蜘蛛が禍々しい気を周囲に発散しており、上向きだった気分がそれを見た瞬間一気に下降した。
「どうしてあのような生き物がこの世に存在するのか」思わず口に出して呟いてしまう。
「この世のすべての八つ足が死に絶えてしまえばいいものを」そう言いながら下唇を噛む。そして、ハッと顔を上げると、こんどは大きな声で呼ばわった。
「たれか!たれか来てたも!宗佑!宗佑はおらぬかえ」姫の呼びかけに早速応じて駆けてくる者がいた。
「姫!姫!如何なされました!宗佑、ここに推参いたしてござりまする!」
その勢いのよさに気圧された姫は少し戸惑いながら「宗佑、あまり大事にするでない!わらわは、ただそちを呼んだだけじゃ。そちの様子だとまるでわらわの身に危険が生じておるようではないか」
「し、しかし、姫、ただいまのお声には切迫した気配が漂っておりましたゆえ、拙者、卒爾ながらとるものもとりあえず駆けつけた次第でございまして・・・・」
「どうして、かように気持ちの良い朝にわらわの身に危険がおよぶことがあろうか!そちの勘違いにもほとほと愛想がつきようというものぞ」
「は!」恐縮して、身を縮める宗佑に姫は厳しい視線を浴びせる。
「八つ足じゃ」
「は?」
「だから、八つ足があそこにおるのじゃ」姫が指差す方を見た宗佑は、すべてを理解した。
「蜘蛛でございますか」声に少し嘲笑がまじってしまった。姫はそれを聞き逃さなかった。
「宗佑!そちはわらわを愚弄するか!」
「いえ、めっそうもございません。そのような、大それたことは・・・・」
「いや、確かにそちは今わらわのことをわろうたぞ」
「申し訳ございませぬ。さきほど手長姫どのが同じようなことを申されたものでございますから・・・」
「手長が?」
「はい、その前には指長姫様も」
「なんと、指もか」
「はい・・・・ですので、思わず笑みが漏れた次第でございまして・・・・」
「ふむ、かようなことがあるとは・・・・のう」
「はい、まことに奇怪でございます」
その時、またどこかから宗佑を呼ぶ声が響きわたった。
「宗佑!宗佑!おらぬかー、宗佑!」
それは、足長姫の声だった。