読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

『湖の幽霊』

 最近話題になっているアバダムの東にある『湖の幽霊』を見に行こうと友人たちと出かけることになった。コンウェイの安宿で腹ごしらえをした我々は、一路湖を目指して馬を駆けた。時刻はとうに夜半を過ぎたと思われる頃ダッツが首を傾げながら大きな声でおかしいと言い出した。

 「何がおかしい?」とメシメル。

 「おれはこの道を何度も通っているが、これだけ駆けてきて湖に着かないのはおかしいんだよ。な、そう思わないかユース?」同意を求められたからではないが、ぼくもそれは感じていた。確かにもうとっくに着いてなければおかしい。それに、最初っからぼくはこの話に引っかかる部分があったのだ。

 「しかし、それってどういうことなんだ?」メシメルがいつものごとく情けない声を出す。

 「どうって、よくわからんが、おれたちはずっと同じ道を駆け続けているってことだよ」ダッツが投げやりに言う。しかしそれは新たな疑問を投げかけたにすぎず、なんの答えも出していない。同時にそれはぼくたちが未知の領域に踏み込んだってことを再確認したってことだった。

 「おいおい、それっておかしいじゃないか。そんなことってありえないだろう?目的の場所に着けないってどういうことなんだよ?」メシメルはすでに悲観の天使にとりつかれている。彼の頭が青白くぼうっと光ってきたからよくわかる。逆にダッツの背中からは紅い炎のような光があふれていた。こちらは憤怒の天使だ。そしてぼくの両手からは緑の光。静謐の天使だ。

 「こうなってしまったからには仕方がないじゃないか!とにかく前に進むのみだ。そのうち新たな展開があるだろう」ダッツの声が夜空に響く。イナケの町で一番の唄使いなだけはある。その声は天空の水際を通って星を一つ撃ち落してしまった。

 「こんなことならお前んとこのアランゾを連れてくるべきだったな。あいつがいれば心強かったものを」

 怖さにかまけて、何を血迷ったことを言うのか。ぼくは無性に腹が立った。同時に両手の緑の光が消え、背中から紅い炎が噴出す。だめだだめだ。憤怒の天使が二人になってしまうと熾天使になってしまう。あの燃える蛇を呼び出してしまえば、手がつけられなくなる。ぼくは平静を取り戻した。そして、ふたたび前を見たとき、彼方に湖面のきらめきのようなものを見たような気がした。

 「おい!あれ」そう言ってぼくが指差すと、言い合っていた二人が同時にそのきらめきを認め歓声をあげた。だが、その声は瞬く間に落胆の声に変わった。

 「違う!ユース、あれは鏡魏獣だ。気をつけろ!呑みこまれるぞ!」メシメルが叫ぶ。

 ぼくたちは、とりあえず三方にわかれた。鏡魏獣はダッツを追いかけた。鏡面が素早く移動してダッツの駆る馬に近づいてゆく。あの鏡面に映ってしまったら終わりだ。生命あるものを映せば、それは鏡魏獣の血肉となってしまう。もう少しで鏡が馬に追いついてしまうというところで、ダッツが馬から飛び上がり近くにあった樹の枝に乗り移った。鏡魏獣に映りこんでしまったダッツの馬はその場で硬化して、石塊となってしまった。馬を仕留めた鏡魏獣は、満足して森の中に消えていく。ぼくはゆっくりぶら下がっているダッツに向いながら色々考えているうちに今回の話を聞いて引っかかっている部分に思い当たった。

 「そうか!ダッツ!メシメル!ようやくわかったよ!ずっと気になってたことがあったんだ」ぼくが大きな声を出したので、ぶら下がっている枝から勢いよく飛びおりたダッツが足を滑らせてしたたかに腰を打った。

 「・・・・・っつう、なんだよユース!何を思いついたんだよ、まったく!」

 ぼくはあまりにも呆気ない疑問の答えに拍子抜けしながらダッツとメシメルにむかってこう言った。

 「二人とも気づかないのかい?おれたち、もう幽霊に遭遇してるんだよ!」

 二人はそれを聞いて、きょとんとしてしまった。メシメルにいたっては、恐怖の対象も定かでないはずなのに、ぼくの言葉を聞いただけで真っ青になってしまった。

 「まだ、わからないのかい?ほら、おれたちは『湖の幽霊』を見にきたんだろ?これが、そうなんだよ、おれたち、いま、『湖の幽霊』に遭遇してるんだよ」

 二人の目に理解の火が灯った。