読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

「悪魔のような夕方」

悪魔のような夕方だった。

ぼくは大きな饅頭をほおばりながら、堤防の道を太陽に向かって歩いていた。

見下ろすと緩やかに流れる金色の川がまぶしくて、一瞬目が眩んだ。ふたたび焦点が合うと、ぼくはマイ

キート・ハスパーンの探偵事務所にいた。ハスパーンは男やもめの三十二歳。過去二回離婚暦があるが実

子はもうけていない。目下、事務所の宿主であるレブラ・チェンバレンといい仲になっているが、これも

一触即発の危機をはらんでいる。世の常のごとく、ハスパーンはやる気のない私立探偵だ。仕事が舞い込

めば、一応誠意をもって応対はするが、それを生甲斐にするわけでもなく淡々とこなしていく。結果がど

うであれ、報酬さえいただければ問題なしというスタンスは、多くの顧客のリピートを阻害することにな

っている。しかし、それは彼の生き方であって、その結果二回も妻に逃げられていたとしても、そこに後

悔の文字はないのである。

「で?依頼の内容は?」

机の上に長い足を投げ出した態度が、客に不愉快な思いをさせているとはつゆとも思わないらしい。

「いや、あの、気がついたら、ここに居りまして」

「はあ?」

初めてぼくの目を見たハスパーンは、咥えていた煙草をプッと吐き出して器用に山盛りになった灰皿に捨

てると机から足を下ろし、ぼくに向き直った。

「どういうこった?おれの事務所に入ってきて、気がついたらここにいただと?お前、ここがおかしいの

か?」そういうと再び煙草を挟んだ指で、自分のこめかみを激しくつついた。

「いえ、けっしてそんなことは・・・・」そういって目の前で手を振ろうとしたら、大きな饅頭があたり

に飛び散って、そこらじゅうにアンコが張り付いた。

「てめえ、なにしてやがる!どういう了見だ?いい度胸してるじゃねえか!」

そう言うとハスパーンは机を回りこんで、ぼくの方へ詰め寄ってきた。いきなり電話が鳴りだした。

「どうする?ああ?こんなに汚しやがって、いったいどうしてくれるんだよ?」

火のついてない煙草をはさんだ指をぼくの胸につきつけて迫ってくる姿は鬼のようだ。依然電話は鳴り響

いている。

「あ、あ、あの」今度はぼくが彼の目を見れない。

「あん?どうした?何か言ってみろよ?ああ?」

「え、あ、あの。電話が鳴ってます」

ぼくの言葉を聞くと、彼は両手でぼくの両肩をどんと押して

「そんなこたあ、わかってんだよ!どうだ?見えるか?ほら、ここに付いてるのはなんだ?」

「はい、耳です」

「おれにも聞こえてるんだよ。こんな時間に掛けてくるのは、どうせレブラなんだよ!ちょっと待ってろ

おれが電話終えるまで、その格好で動くんじゃないぞ」

そういって彼は受話器を持ち上げた。ぼくは、床に仰向けになったまま、成り行きを見守った。

「なんて広い事務所なんでしょうね!」

受話器から聞こえる声は、ぼくの耳にも届いた。かなりお怒りの様子だ。

「すまん、レブラ、ちょっと取り込んでて・・・・」

「あんたの鄙びた事務所で取り込むことなんてあんの?どうせ借金取りでも来てるんでしょうよ!」

「いや、その饅頭が・・・・」

「マンジュウ?何?それ?モンスターの名前かなんか?」

「いや、違う、あれ?どうしちまったんだろう?なんか変だぞ」

体勢が苦しくなってきたぼくは、すこし身動ぎした。

「お前!動くなっつってんだろ!」どこから持ち出したのか、彼の手には拳銃が握られている。

窓の外を見ると、悪魔のような夕方が広がっていた。