読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ロンドンの『あの人』

 夜の団地を見上げると、すべての階のベランダから白い顔が覗いていたなんていう総毛立つような夢をみたあと場面が変わって黄昏のロンドンにぼくはいた。そこは、ぼくが想像するロンドンであって、実際のロンドンではない。だからそこにはビックベンもパディントン駅もピカデリーサーカスもなくて、ベーカー街221Bのハドスン夫人所有のアパートを中心に世界は構築されている。

 そして、そこには誰もが知っている『あの人』がいて、ぼくの到着を待っている。『あの人』は痩身で秀でた額と尖った鼻、時にエキサイティングになったかと思うと沈思黙考を常とするなんともエキセントリックな人物で、コカイン中毒は玉に瑕だが、ボクシングもたしなむ頼れる御仁なのである。

 だが部屋を訪れると、そこには誰もいなかった。約束の時間は確か午後5時30分。時計を見ると丁度1分前だった。どうしたのだろう?すっぽかされたのだろうか?

 部屋の中には香ばしい紫煙がうずまいていた。ヘビー・スモーカーのあの人らしい。うん?ということはたった今までここにあの人がいたということではないか。だとすると、いったいどこにいるのだろう?

 そうこうしてるうちに「三人ガリデブ」事件の依頼人ネイサン氏がやってきた。なぜぼくがそんなこと知ってるかというと、正典で読んだからである。

 ネイサン氏もやはりあの人を頼ってここへやってきたのだが、先客のぼくを見るなりいきなり怒りだして帰っていった。おそらくダブル・ブッキングだと思ってコケにされたと考えたのだろう。

 二階の部屋から通りを見下ろすと、埃臭い衣装をつけた人々が埃まみれで歩いていた。くたびれた帽子にほつれかけたドレスやスーツ。赤茶けてあばたの浮いた顔に血走った青い眼。二頭立ての馬車はガクガク上下に揺れながら馬糞を撒き散らし、茶色い汚水が石畳の道路に染みわたってゆく。

 う~ん、なんとも不衛生な環境だ。こんなことだからペストが流行ったりするのだ。いや、まてよ。これはぼくの思い描くロンドンだ。だから実際はこんなことなかったはずなのだ。そうわかっていながらも、目の当たりにするいやらしい光景に嫌悪感がつのってくる。あの人は、こんな粗悪な環境で暮らしていたのか。なんと不憫なことだろう。おっと、あそこに見えるはH・G・ウェルズ氏ではないか。その後ろからやってくるのはキップリング?

 やはりこの時代のロンドンは有名人が多い。そういえばジャック・ザ・リッパーもこの時代だったなぁ。

 ええと、そういえば、ぼくは昨日メアリという名の娼婦と一緒に・・・・。