読書の愉楽

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ドン・ウィンズロウ「犬の力(上下)」

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 ドン・ウィンズロウがハードボイルド作家だというのは周知のことだろうが、彼がこれほど冷徹で非情な世界を徹底して描く作家なのだということは誰も知らなかっただろう。なにしろ圧倒的なのだ。何が?

 染みわたる暴力と過剰な制裁が。おぼれるほどの暴力と煮えたぎる怒りが。

 そうなのだ。ここには想像を絶する世界がある。しかもそれは非現実な世界ではなく、リアルな世界なのだ。ここで描かれるのはアメリカとメキシコを舞台にした麻薬戦争。絶えることのない魔の薬に群がる人間と、それを商売にして国を動かす権力を手にする麻薬カルテルの一族たち。そして、混沌とした権力の狭間で正義を貫こうとあがく麻薬取締局(DEA)の捜査官アート・ケラー。この対峙する正義と悪の構図に高級娼婦やアイルランド系のギャングなどが絡んで壮大なサーガともいうべき三十年にわたる戦いが描かれるのである。

 まず驚いてしまうのが、いままでニール・ケアリーのシリーズで慣れ親しんできたウィットや機知に富んだ会話や少々ベタな展開を自家薬籠中のものにした親しみやすい文章が、鋭利で削ぎ落とされた進行形の文章で徹底されていることだ。この描き方はいままでラヒリの「その名にちなんで」でしか読んだことがなかったのだが、これがハードボイルドの形式にとてもよく合っている。進行形で表現することによって登場人物の行動が息遣いと共に感じられ読み手もどんどん熱くなってしまう。まるで急かされるように読み進めていくのだが、短いセンテンスがそれを許さない。ヒートアップを抑圧された心情はストイックな感情を呼び起こす。激情がほとばしることなく身内にたまっていく。だから、ぼくはこれを続けて読むことができなかった。まんまとウィンズロウにしてやられたというわけなのだ。

 ともかく、本書には圧倒される。もうこの一語に尽きる。とにかく大きな力がのしかかり、首筋をがっちり喰わえこまれてしまうのだ。小説を読んでいて、胸を突き破って慟哭がはじけ出そうになったことは初めてである。

 しかし、主要な登場人物の死に関しては非常にシンプルに素っ気ないほど簡潔に描かれる。なのにこれがなかなかのインパクトなのだ。味気ないはずの描写が鋭く胸に突き刺さる。う~ん、もう見事に作者の術中にはまってしまってるんだな。

 正義の鉄槌が振り下ろされた先には何があるのか、またそこにあったものはどうなってしまったのか。長い物語が終焉をむかえるとき、我々の目の前にはどんな光景が広がるのか。どうか未読の方は自分の目で確かめていただきたい。本書にはそれだけ多くのものが詰まっている。得るものも失うものも多い。無駄な感情を排し、とにかく突き進む。

 そう、それこそまさしく犬の力。