読書の愉楽

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飴村行「粘膜人間」

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年末のランキングで「粘膜蜥蜴」が話題になってたので、さっそくデビュー作である本書を読んでみた。

物語の導入部はこんな感じ。身長195センチ、体重105キロという巨漢で横暴な小学生の義弟を殺そうと画策する長兄・利一と次兄・祐二。だが、体力的にまったく歯がたたない二人は自らの手を下すことなく弟を亡きものにするために村のはずれの沼地に住む河童に弟の殺害を依頼する。だが、それが難なく進行するわけはなく・・・・。

確かに本書の中では節操のないくらい簡単に目玉が飛び散り、頭蓋が割れ、肛門から食道まで槍が貫いたりして血や臓物が散乱しているのだが、友成純一の「獣儀式」(串刺し刑では、こちらの方が上。ここの串刺し描写はほんと気分が悪くなります)や平山夢明の「異常快楽殺人」やブレット・イーストン・エリスの「アメリカン・サイコ」を読んできたぼくとしてはそれほど衝撃はうけない。だが、そういう粘液ぐちゃぐちゃ臓物ドロドロに耐性のあるぼくが言うのもなんだが、本書にはそんなスプラッター描写が苦手な人でも一読するに値する何かがあるのも確かだ。それは全体を包んでいるほのかなユーモアであり、物語を拡散させる作者の確かな技倆ではないかと思うのだが、どうだろうか?

まず気に入ったのが、不気味でリアルな河童の言動である。おだてに弱く、単純なクセに猜疑心は強く変なところで疑り深い。そんな彼らが話す言葉も独特で笑いをさそう。「女の股ぐら泉に男のマラボウを入れてソクソクすることだ」どう?このセンス。ちょっと放送コードに引っかかる文章だが、敢えて引用した。だって、この感覚は秀逸だもの。

物語の世界は戦前に設定されているが、そこに少し嘘が混じっている。だが、そのファンタジー要素によって本書は成立し、見事に屹立している。話的にはいたってノーマルで、なんの工夫もないものなのだが主軸とはあまり関係のない第二章の凄惨な拷問場面をはさんだりして起伏をあたえ、グイグイ読ませる。

ラストがいまいち不発気味だったのが少し不満だが、ぼくは気に入った。だからやはり「粘膜蜥蜴」も読んじゃうのである。

それにしても、本書のタイトルの「粘膜人間」ってなんのこと?ちょっと意味がわからないんだけど。