読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

荒巻義雄「神聖代」

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 これはなんとも形容しがたい物語だ。いってみれば、大いなる空想のもと自由闊達に描かれたお遍路の話とでもいおうか。解説では筒井康隆が『巡礼』と形容しているが、まさにそのとおり。でも、ぼく的には西国八十八箇所巡りしているお遍路さんの姿が妙にだぶって見えたのだ。

 とにかく本書は様々な解釈が成り立つ衒学SF的な要素たっぷりで、文面の海の底に隠れている象徴や深い意味合いを探り出したら、おそらくそれだけで一冊本が書けてしまうのではないだろうかと思われる。

 しかし、この短い物語のなんと濃密なことだろう。ぼくは、例のごとく本書を通勤途上の車の中で読んだのだが、丁度一ヶ月かかった勘定になる。その間この奇妙で奇怪で、ある意味醜悪でどことなく淫らな本書の濃密な世界にどっぷり漬かってしまったぼくの頭の中は、形にならないイメージでいっぱいになってしまった。

 本来ぼくは宗教的なガジェットが大好きで、宗教そのものの理念に関してはあまり興味はないのだが、それに象徴される様々な事柄には結構興味津々だったりする。その点、本書では神話が世界観に色濃く影響を及ぼし、尚且つそれが物語に侵蝕している様が気に入った。まるで悪夢のような突飛で奇妙な事柄を描きながらも、それがラストにいたってすべて丸く収まってしまうところに注目したい。なんという話なんだ?と驚き、いったいこれをどういう風に終息させるのだろう?とある意味心配しながら読み進むことになるのだが、それは杞憂にすぎない。ラストまで読んでみて、この物語全体の謎が氷解したとき、これはこのあいだ読んだディックの「ユービック」と同じ構造の話なんだと納得した。なるほどねぇ。そこにヒエロニムス・ボッスの「快楽の園」が絡んできてミステリアスな印象を高めるのだ。

 これはSFか?

 然り。

 でも、SFからとても遠いところに位置する作品のように感じてしまうのはなぜだろう?