読書の愉楽

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山口雅也「キッド・ピストルズの最低の帰還」

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 もうこのシリーズの新刊は読むことはないだろうと半ばあきらめかけていたキッド・ピストルズが最低の帰還を果たした。といっても、こちらは江神シリーズより少し短い13年というブランクだったのだが。

 

 山口雅也キッド・ピストルズという図式が刷り込まれているぼくとしては、作品の出来云々は二の次にして、とにかくうれしいのである。

 

 なんせ「生ける屍の死」で衝撃のデビューを果たした著者の初のシリーズ物、第一弾の「キッド・ピストルズの冒瀆」が出た1991年の当時、ぼくは目ぼしい書店を渡り歩いてこの本を探したのだが、どこにも置いてなくて、半ばヤケクソで入ったイズミヤの書店でひょっこり見つけて狂喜乱舞したのが、まるで昨日のことのように思い出される。てっきり単行本のごつい本だと思っていたのに、ソフトカバーの中途半端なサイズの本だったから、なかなか見つけられなかったんだと自分を納得させていた。そういえば、似たような体験を舞城王太郎「SPEEDBOY!」の時もしたのではなかったか?

 

 そこはそれ、歴史は繰り返されるという教訓を身をもって体験したと真摯に受け止めようではないか。

 

 とまれ、この陽気でキッチュで意外とペダンティックなシリーズとの再会を喜ぼう。

 

 本書には五編の短篇が収録されている。

 

 ★ 「誰が駒鳥を殺そうが」

 

 ☆ 「アリバイの泡」

 

 ★ 「教祖と七人の女房と七袋の中の猫」

 

 ☆ 「鼠が耳をすます時」

 

 ★ 「超子供たちの安息日

 

 それぞれいつものごとくマザーグースが主旋律として流され、それに呼応して事件が構成される。ミステリとしてのカタルシスは決して大きくはないのだが、小品ながらそれぞれ精緻で正攻法のミステリが描かれる。本シリーズの魅力は、ミステリとしての巧みさではなくやはりその世界観にある。並行世界であるパラレル英国エドワード法に則った〈探偵士〉制度。一本ネジの狂った登場人物たちが繰りひろげるスラプスティックな事件。本書の中で一番奇想天外なのは「教祖と七人の女房と七袋の中の猫」で扱われる人間消失の謎だ。ここで描かれるのは島田荘司もびっくりのトンデモトリック^^。しかし、物語の終結がいいのでそれも許せる。逆に「超子供たちの安息日」は、傑作になるのではないかという期待がちょっと尻すぼみになってしまった。あの「生ける屍の死」を読んだときの興奮が味わえそうな雰囲気だったのだ。他の作品もそれぞれスラスラと読みやすく、楽しめた。前の「~慢心」よりは数段いい出来ではないだろうか?やはりぼくはこのシリーズが大好きだ。これからも不定期でもいいからずっと書き続けていってもらいたいものである。