読書の愉楽

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ウィリアム・トレヴァー「聖母の贈り物」

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 ジョイス、オコナー、ツルゲーネフチェーホフに連なる現代最高の短編作家とは、最大級の賛辞ではないか。どんなに凄い作品を書いているんだと少々身構えてしまう。しかし、これが読んでみるとすごく取っつきやすく、読みやすい。

 トレヴァーの描く世界は至極人間臭くていじわるだ。それはとりあえず試しに巻頭の「トリッジ」を読んでみればよくわかる。

 ここに登場するのは、十三歳のトリッジという少々まぬけな少年だ。彼はおつむが弱いのか、自分が笑い者にされても一緒にヘラヘラ笑っているようなところがある。そんな彼の少年時代のエピソードが語られ読者は彼の半人前以下の寄宿舎生活を追体験する。なんとも情けなくて、でも憎みきれないトリッジ。

 この短編の前半はそういったユーモアを感じさせる雰囲気の中進行していく。しかし後半にはいって様相は一変する。なんという展開だ。そうきたか。なるほど、トレヴァーってこんな感じなの?

 次の「こわれた家庭」は最初から不穏な匂いがしてる。八十七歳の一人暮らしの老女のもとに、近くの中等学校の教師が訪れてきて、自校の欠損家庭で育った不遇な生徒の教育実習としてお宅のキッチンの壁のペンキ塗り替えをさせてくださいという。老女は何かの間違いじゃないかと思うのだが、押し切られる形で申し出を受け入れることになる。この作品はそうなるだろうなという予想を裏切らず展開する。

 こんな具合に、トレヴァーは人間の邪まな部分や不実な部分を好んで描いてゆく。しかし、そこに嫌悪感はない。それらのいわば『負』の部分を強調していても、嫌な感じはないのだ。なぜなら、それが人間なんだという肯定のもと話が構築されているから、読み手としても素直に受け入れてしまうのだ。人間ってこんなもんなんだよ、これが人間の真の姿なんだよと作者がやさしく説いてくれてるような感じだ。

 ところで本書の中で一番良かったのが「マティルダイングランド」。これは短編というより中編ぐらいの分量があったのだが、古き良き時代で幕が上がった物語がラストでは○○○っぽい話になってしまうところが凄い。この展開は、ある意味ミステリにも通じるカタルシスがあった。う~んトレヴァー凄いぞ。

 というわけで、国書刊行会の新シリーズ『短編小説の快楽』配本第一回目の本書、おおいに堪能した。

 こりゃあ、他の本も読まねばなるまいて。次の配本はいつだろうか?