3月28日にシリーズ最新作の「ハンニバル・ライジング」が発売されるということなので、前作にあたる本書を紹介しておこうかと思う。
この稀代の殺人鬼であるハンニバル・レクター教授が登場する人気シリーズは、世間の評判に対してぼくの評価はそれほどでもなかった。第一作の「レッド・ドラゴン」にしろ、かなり評判になった「羊たちの沈黙」にしろ、それほどやいのやいの言う作品ではないと思うのである。確かにトマス・ハリスの創造したこのレクター教授というキャラクターは突出して存在感があると思う。百科事典にも相当する知識を有し、尚且つ残忍で大胆な殺人を犯す。まさに圧倒的存在感だ。
だが、そんな彼がサブキャラで登場する最初の二作品はストーリーの起伏がなく、それほどリーダビリティがある話ではなかった。はっきりいって退屈な部分も多かった。もう一度読んでみたいとはまったく思わない作品だった。
だから、この「ハンニバル」が刊行された7年前とりあえず読んでみようかと買ったのはいいが、なかなか手を出さなかった。ようやく重い腰をあげ、気後れしたまま読み出したのが購入してから一年後ぐらいだったのではないだろうか。だが、その気後れしたまま読み出した本書が予想外におもしろかった。
本書の主人公は紛れもなくレクター博士その人である。前作で逃亡した彼のその後が描かれる。
そして本書にはレクター博士に勝るとも劣らない悪魔がもう一人登場する。レクターに異形の不具にされた大富豪メイスン・ヴァージャーという人物だ。彼は巨万の富を武器に、驚くべき執念でレクター博士を追いつめてゆく。今回はこの狩る者と狩られる者という明確な構図のもと物語が進められていく。とてもサスペンスに満ちた追跡劇だ。その点、前二作より物語の構造が単純でとてもおもしろい。イタリアのフィレンツェの芸術的なイメージと全編に漂う暗黒のイメージが巧みにブレンドされ、忘れがたい印象を残す。
なぜなら、ぼくは悪魔であるレクター博士に感情移入してしまっているのである。ハリスの筆はレクター博士の人物像を『記憶の宮殿』を絡めながら執拗に書き込んでいく。彼の嗜好、生い立ち、そして限りなく高い教養。
彼の貴族然とした振る舞いと生活は洗練の極みだ。殺人鬼にしておくのはもったいない(笑)。ページを繰るごとに自分が彼の側に吸いよせられていくのがよくわかる。あのクラリス・スターリングでさえまるで添え物扱いだ。ラストでようやくレクターと共に輝いてくるのだが、印象は薄いのである。
そして、そのラストなのだがリアルに構築されていた世界が、ここへきて一変してしまう。ここは映画とは違う結末だ。この結末を是とするか否とするかは人それぞれ意見の分かれるところだろう。
ぼくは、まあ、こういうのもありかなと寛容に受けとめた。
というわけで、この「ハンニバル」、シリーズの中では一番おもしろかったと思う。だから今度出る「ハンニバル・ライジング」がなかなか楽しみなのである。