本書が刊行されたのは1996年。いまから13年も前のことだ。当時ぼくは本書を新刊で買った。表紙
の写真を見てもらえばわかるように徳間ノベルズ22周年記念として『Night Mare File』
シリーズの一冊として刊行されたのである。他にもいろいろ刊行されていたのだが、このシリーズで買っ
たのは本書だけだった。当時、平山夢明氏はまだまだ無名で、
というノンフィクションが、幾ばくかのその筋の通人に評価されていたくらいで、当然のごとくぼくにと
ってはまったく未知の作家だったのだが、本屋でパラパラと内容を見たぼくは、すぐさまレジに走ったの
である。パラパラと拾い読みしただけで本書の異常性がビンビン伝わったのである。これは大変な本だと
察知したのである。
で、いつものごとくすぐさま読むこともなくいままで熟成させてあった。
平山夢明という作家の評価が定まったいま、本書をはじめて読んでブッ飛んでしまった。
なんなんだ、この異常さは。それに、この異様なまでのおもしろさはどうだ?
にすぎないプロットなのだが、本書に登場する日本版レクター博士『プゾー』の人物造形はどちらも読ん
だぼくが言うのだから間違いないが、本家本元に十分対抗しうるものだった。元児童心理学者だというこ
の究極のサイコ野郎が登場する場面の刺激は、久しく忘れていた興奮を呼び覚ました。また、三人の幼女
を誘拐し常人には考えつかない惨い方法で損壊した地獄の使者のごときシリアル・キラー『ジグ』の行動
は、心底からの恐怖を呼び覚ました。ここで描かれる犯罪場面は、やはりこの著者しか描くことが出来な
いものであって、それはリアリティと異常さの微妙なバランスの上に構築されたあまりにもおぞましい成
果であり、唯一無二のものだといえるだろう。
そして、この凶悪な犯罪に立ち向かう存在として日本初のプロファイリング捜査を実施しようと画策する
政治的抗争の矢面に立たされたキタガミが登場する。彼は超能力者である『沈むもの』ビトーと共にシリ
アル・キラーのジグを捕まえるべく奔走するのだが、これがまた簡単に事が進むわけはなく、事態は混迷
を極める。彼等の前には、旧弊な警察組織にしがみ付く輩からの横やりが入ったり、レクチャーを受けて
いるプゾーの難解なヒントを解くという難問が山積みとなるのだ。また、ビトーの能力は他人の意識とシ
ンクロしてその者を支配するという特異なものなのだが、大なり小なりシンクロする人物の『反射』を受
けてしまうという特質をもっている。だから、ジグの意識に『沈む』という行為は、自殺行為でもあるの
だ。そしてそれに輪をかけて彼等のプライベートな問題までもが浮上する。彼等は皆、痛みも抱えている
のだ。さて、そのようにして様々な問題が浮き彫りにされ、物語はどんどん見たくない場面を描いていく
のだが、やはり瑕疵は散見されるのである。これは挙げれば色々あるのだが、ぼくは目をつぶってもいい
かなと思っている。この物語に続くシリーズ第二弾があればいうことなしなのだ。おそらくそこで語られ
る物語の背景が本書で感じられたすべての不満を解消してくれることと思われる。でも、13年もの間続
編が書かれてないということは、もうないのだろうね。
しかし、本書が刊行された当時の『このミス』を調べてみたのだが、本書はリストにも挙がっていなかっ
たのが解せない。これだけの作品を落としてしまうとは、山前譲さん、それはいけないんじゃないの?