読書の愉楽

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仁賀克雄「ロンドンの恐怖―切り裂きジャックとその時代」

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 切り裂きジャックの事件が起こってから、もう百年以上たっている。そんなに昔の事件なのに、いまだにそのミステリは人々を惹きつけてやまない。ぼくも、この事件のことは知っていたが、詳細まではわかっていなかった。そんなぼくでも本書を読了していっぱしのジャック・ザ・リッパー通になったと思う。

 

 ぼくが一番最初にこの稀代の殺人鬼のことを知ったのがいつだったのかはいまでは定かでない。赤川次郎の「霧の夜にご用心」を読んだ高校の時にはすでに知っていたと思うし、クイーンの「恐怖の研究」を読んだ時にもよく知っていたように思う。はてさて、いったいぼくはいつこの殺人鬼と出会っていたのだろうか?

 

 まっ、そんなことはどうでもいいか。とにかく本書を読んで感じたことは、ジャックの犯行はその残虐さや警察を手玉にとる神出鬼没さがあざやかなだけに、妙に人間臭さが削ぎおとされてしまって何か推理小説を読んでいるかのような気になってしまうということなのだ。本書に登場する他の殺人鬼たち、たとえば「サムの息子」や「デュッセルドルフのモンスター」や「ヨークシャー・リッパー」などは読んでいるうちに背筋がゾッとしてきて戦慄をおぼえたが、切り裂きジャックの場合は、むろんその手口は残虐極まりないのだが「サムの息子」その他の殺人鬼たちの犯行手口を読むときに感じる身を切られるような怖さはまったく感じなかった。

 

 切り裂きジャックは、いまでは伝説の人物になってしまっているのである。誤解を招くかもしれないがぼくは彼のことを一種のヒーローのように感じている。その犯行は憎むべきもので当時の人々を恐怖のどん底に突き落としたことは重々承知なのだが、本書でその中身を詳細に読んだあとでも、どこか現実味を欠いた印象をもってしまって素直に嫌悪を出せないでいるのだ。

 

 ガス灯に浮かびあがる十九世紀のロンドンの霧に神秘のヴェールをかけられてしまったのか、切り裂きジャックはぼくの心の中では悪の対象ではない。よくよく考えてみると、彼との出会いがすべてミステリ絡みなのが起因しているのかもしれない。だからぼくは彼を推理小説の登場人物のように感じているのだろう。

 

 本書を読んで感じたのはジャックが時代に呼ばれて登場したのだということ。当時のロンドンは大英帝国の名に反して薄汚く、限りなく惨めな場所であった。そんな中でジャックという殺人鬼が生まれたのは当然だったのだ。時代が彼を呼んだ。ぼくにはそう思えて仕方がない。

 

 それが悲しいといえば少し悲しい気がする。