杉浦日向子は大好きで、彼女の作品は大抵読んできた。出会いは「百日紅」だ。葛飾北斎と娘のお栄、居候の池田善次郎(のちの英泉)が織りなす江戸の風物や怪異。この作品で『走屍』なるものを知った。
それはさておき、それから彼女の作品を手当たり次第読んでいった。「合葬」、「ゑひもせず」、「二つ枕」、「ニッポニア・ニッポン」、「百物語」、「東のエデン」。独特の画風、その当時の匂い、その当時に生きて動く人々、文明が届かない闇、きれいな空気、気っぷ、勢い、綾なす物語の痛み。すべてが合わさって一読忘れがたい印象を残す。
本書の表題作は風景画家 井上安治を題材に現代と過去の東京の憧憬を描く。江戸から明治に変わる時代に一瞬きらめいた井上安治。二十六歳という若さで夭折している。本書を読むまでその存在もしらなかった。まだまだしらない事は数多くある。そんな彼の作品とそれを胸に秘める女性。眠る間に立ち昇る江戸の情景、顔の見えない安治。作品を通しても、その人となりはまったくわからない。でも、動というより静であるがゆえに、心に残る。例えばそれは躍動する馬の汗したたる匂い立つようなシーンを切り取るよりも、その馬がじっと夕陽の方を向き静かに佇むシーンのほうが印象深かったり、あやしい空模様の情景よりも静謐な音がないゆえにキーンと耳鳴りするような晴れた日の情景のほうが心に刻み込まれたりするように。連綿と続く歴史の中で、その地もさまざまな顔を見せてきた。何もないところに人が住み、それが増え、自然が少なくなりやがて人工物に溢れてゆく。安治の見た東京とわれわれの見る東京はまったく違う。しかし、そこに住む人々の日常は基本的には変わらない。朝起きて、生活のために仕事をし、学生は勉強をし、一日の終わりには家に帰り家族と共にあたたかい夜を過ごす。人と人の関わりは百年前も現代もさほど変わらない。風景は変わる。物が増えたり減ったり。
かつて生きてそこにいた人が見た風景。それは未来のわれわれに不思議な動揺を与える。変化の波は、人の行動や生活を変え目に見えるものを変えてゆく。しかし、人の営みは変わらない。どの時代でも「いまの若いもんは、まったく…」なんて言っているのである。
歴史は続く。情景を変えながら。時は流れる。人の死を積み重ねながら。われわれは、何を残していけるのだろうか。
本誌には、他に単行本未収録作品が数編収められている。幻想譚。「鏡斎まいる」は以前にも読んだことがあった。こんな果心居士みたいな人いたらおもしろいよね。一度でいいから会いたいなー。