読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

チョン・イヒョン「優しい暴力の時代」

優しい暴力の時代 (河出文庫 チ 9-1)

 生き辛さは、人生の伴侶だ。人は多かれ少なかれ問題を抱え、なんとかそれを乗りこえ生きている。そんな中で、ささやかな幸せを見つけたり、人の優しさに触れたりして人生捨てたもんじゃないと前向きになれたりするのである。

 本書では、そういった日常の出来事が描かれる。男性、女性、既婚者、独身さまざまな人が登場する。誰もが時を選ばずして孤独になる。それは文字通りの意味でもあり、自分が感じる感覚でもある。輪の中での孤独、部屋に一人ぼっちの孤独、教室の、雑踏の、仲間の中での孤独。
 自分という個の中で生まれる葛藤には、常に他者の存在がある。受け入れられないから、納得できないから、間違っていると思うから葛藤が生まれる。

 だから人生は生き辛い。

 本書には七編の短編とボーナストラックとして「三豊百貨店」が収録されている。本編の七編については、特に言及しない。先に書いたようなことを思った次第。

 「三豊百貨店」は、韓国で実際にあった最悪な百貨店崩落事故を描いている。手抜き工事とゆるい地盤、予兆もあり死者五百名以上、負傷者九百名以上、行方不明者六名という未曾有の大事故を防ぐ方法と時間はたっぷりあったにも関わらず経営陣の杜撰な危機管理によって、これだけの事故が起こったのである。
 著者は、実際その崩落した日に百貨店を訪れている。数時間の差で事故に巻き込まれずにすんだのである。しかし、彼女の友は。
 崩落事故の事実と著者の日常を交差させ、その日に集約される構成がステレオタイプなのに効果的。運命の厳しさと生き残ったという実感と、死んでいった人たちへの思い。自分一人で防ぐことはできなかっただろうが、後悔は残る。  
 
 そこにある。たしかにある。誰もが知っている。でもそれをあらためて思い起こすこともないし、足をとめることもない。そうやって過ぎてゆく日常。現実、夢、喜び、悲しみ、いろんな色があわさって紡がれるさまざまな風景。やさしさと脅威、楽しさと狂気、反しているのに馴染んでいる。ぼくたちは、それをなんとなくやり過ごしている。でも、やり過ごした痛みは消えない。