読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

佐藤正午「月の満ち欠け」

岩波文庫的 月の満ち欠け

 まず言っておきたいのが、この本の体裁。これ、一見岩波文庫の一冊のように見えるけど、さにあらず。実際、手にとって見てもらったらわかるのだけど、岩波文庫的となっている。左下のおなじみのミレーの種まく人のマークも色使いが月の満ち欠けになっているのである。確かに岩波文庫のラインナップを見ると、海外は現代作家も入っているけど、緑色でおなじみの日本文学には現代作家はいない。いわゆる古典のジャンルに入る作品ばかり。なのに、そこにこの佐藤正午の本は体裁を整えて紛れ込んでいるのである。

 すごくない?こういう扱い受けている作家、他にいないもんね。で、本書が岩波の最初で最後といわれている第157回直木賞受賞作なのである。でもまあ、ぼく的には本書より「鳩の撃退法」のほうがランクは上だけどね。宮部みゆきも「理由」なんてしょうもない作品で直木賞獲ってるし、なんか基準がよくわからんのだけども。

 それはさておき。

 本書の内容なのだが、これは詳しく語らないほうがこれから読む人にはいいと思う。本書のストーリーはそうなのだ。読者はページを開いた瞬間から関係性がまるでわからない登場人物たちの1シーンを見せられる。それはすぐ終わって、また違う時系列の話がはじまる。でも、とまどいはない。なんせ、佐藤正午小説の神様に愛されている人だから。読者は新たにはじまったストーリーを夢中で追いかける。なんでもない日常に入り込む一抹の不穏。

 キーワードは「瑠璃も玻璃も照らせば光る」

 とても複雑な読後感だ。正しいのか間違っているのか、幸せなのか不幸なのか?何も見えない。夢はあるけど、素直に喜べない。可能性は望みと直結するのか?受け入れたとして、それは真の愛の居場所なのか?現実が眩しすぎて、見極めることもできない。ぼくならどうする?なんて問いかけは、成立しない。なぜなら、このことに関してシミュレーションする題材は皆無だから。落ち着いて、落ち着いて。あなたの思考はとどまらない。溢れ、流れ、とめどない。

 ラストにいたって、作者はまた時間をさかのぼる。それは、あまりにも巧みな演出だ。不安の中に見いだせた充実。満たされた思い。世のことわりを無視した結実。読者は、溜飲が下がると同時に本来の時間軸の物語の行末に希望をもつ。

 ここであまりにもストレートな短歌が胸に響く。

 君にちかふ阿蘇の煙絶ゆるとも萬葉集の歌ほろぶとも

 人を愛する気持ちって、こういうことだよね。