読書の愉楽

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アフィニティ・コナー「パールとスターシャ」

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 離ればなれになる双子、パールとスターシャ。ユダヤ人であるがために、強制的に家族もろとも収容所に連れていかれ、悪魔ともいうべきメンゲレから、おぞましい人体実験を受けることになる。彼女たちは、双子ゆえメンゲレの注目を浴びる。薬品の点眼による瞳の色の変更実験、臓器の摘出。しかし彼女たちはまだ恵まれていた。だって、命まではとられなかったのだから。双子の中には、性器転換や、背中同士を縫い合わせて静脈を繋げられた双子もいたのである。

 彼女たちは、家族とも離れ『動物園』とよばれる施設にいれられる。メンゲレは笑顔で近づき、子どもたちに自分のことを『おじさん先生』とよばせる。ハンサムな顔、やわらかい物腰、彼はやさしく子どもたちに接し、メスをふるった。

 言うまでもなく、ナチスドイツがユダヤ人淘汰のもとおこなった数々の唾棄すべきおこないはしっかりと歴史に刻まれており、こうやって様々なメディアに取り上げられ、その所業が風化することはない。人はその事実を知り戦慄する。同じ人間同士で、どうしてそんな残酷なことができたのだろう?と。

 しかし、戦争は人を変える。人を変えるし、解放する。その空間、時間の中は日常とかけはなれた異界だ。生き残るために人は変わるし、優位にたつものは隠されていた奥底の自分を解き放つ。それは地獄の論理だ。パールとスターシャはその異界にあって、健気にたくましく生きた。メンゲレを殺すという目的をもって。

 ぼくは、本書を読んでなぜか霧の中を手さぐりで進んでいくような不透明感をもった。それは物事を切り取る角度の問題なのではないかと思うのである。この本の角度はぼくが望む角度じゃなかった。ぼくは、本を傾け自分に合う角度を探した。しかし、それは叶わなかった。最後まで叶わなかった。勿論これはぼく個人の問題であって、それが唯一の答えではない。とにかくぼくは本書が苦手だと感じたのだ。

 でも、そんなぼくでも本書の中でせつなく心に響いたひと言があった。スターシャがエルマ看護婦に言う言葉だ。美しさが世界を救うというパパ。美しさが罪を贖う。そのことを思い出していたスターシャにエルマは「そんな顔してはだめよ」と言う。そこでスターシャは答える。

 「笑わないといけませんか?」

 このやりとりを聞いている画家。そう、スターシャはこのとき肖像画を描いてもらっていたのだ。絵のうまいユダヤ人の女性に。

 ああ、なんて残酷でせつない世界。