丸谷才一の作品は、読めば必ずなんらかの影響を受ける。それは小説技巧であったり、主題のおもしろさであったりするのだが、とにかくその刺激はぼくの背筋をかけのぼり、とてつもない喜びをもたらしてくれる。
本書に収録されているのは四つの短編。表題作は、町医として仕事一徹だった父親が、病気になって床についたとたんしきりと昔話をするようになり、そのとき話した四国旅行の話が発端となる。友人と二人旅をしていた折、岡山の道後の茶店で休んでいたら居合わせた坊主に馴れ馴れしく話しかけられ、そのうち三人で酒を飲みだし、全部奢ってやったという他愛もない話である。父の死後、何かの折に筑摩書房版「現代日本文学全集」を拾い読みしていた主人公(女子大の国文学科の助教授)はその中の『現代俳句集』の巻に
しぐるるや死なないでゐる
しぐるるやしぐるる山へ歩み入る
うしろ姿のしぐれてゆくか
等の自由律俳句を目にとめることになる。俳人の名は種田山頭火。このころはまだ無名だった山頭火に興味を惹かれて略歴を読んでいると、昭和十五年松山一草庵にて頓死とあった。ここで主人公は父たちが松山で会った坊主はこの山頭火なのではないか?という疑念にとらわれるのである。主題はその探査行だ。
以上のことからもわかるとおり骨組みとしてはこの短編はミステリの結構なのだ。謎の答えを追いもとめて主人公が推理をめぐらすのである。それは、俳句にまったく馴染みのないぼくにさえ知的興奮をもたらす。さて、この推理はいったいどういう結末をむかえるのか?しかし山頭火の足跡をたどる過去への旅は、主人公の父の思わぬ秘密をも暴くことになるのである。ここらへんの呼吸はほんと名人芸といっていい。ミステリの手法でいえば伏線なのだが、それがいたって自然に物語に溶けこんでいることに舌を巻いてしまう。
残る三編も小品ながら素晴らしい。長くなるので「初旅」という短編にだけ言及しておこうか。これはプロットに変化をつけてある小憎らしい作品で、読者は物語を追いながら不思議な居心地を体験することになる。途中までは、もしかしてこれはSFなのか?なんて思ってしまうのである。ここでぼくは本来なら簡単にあらすじを紹介するべきなのだろうが、興を削ぐことになってはいけないので、あえてそれはしないでおこうと思う。この文章を読んで興味をもたれた方はどうか本編を読んでいただきたい。できれば解説も読まずに本編にかかっていただきたい。この作品は余計な情報をいれずに読むべきだ。
というわけで、丸谷才一はぼくを刺激し続ける。これからもどんどん読んでいこう。