読書の愉楽

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綿矢りさ「しょうがの味は熱い」

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 綿矢りさの小説の書きだしが好きだ。本書の場合はこんな感じ

整頓せずにつめ込んできた憂鬱が扉の留め金の弱っている戸棚からなだれ落ちてくるのは、きまって夕方だ。


 こういう描写は好き。ぼくには思いつかない言い回しだ。「勝手にふるえてろ」の書きだしはこんな感じ。

とどきますか、とどきません。光りかがやく手に入らないものばかり見つめているせいで、すでに手に入れたものたちは足元に転がるたくさんの屍になってライトさえ当たらず、私に踏まれてかかとの形にへこんでいるのです。


 なんて鮮烈で、新鮮なのだろう。「ひらいて」はこう。

彼の瞳。凝縮された悲しみが、目の奥で結晶化されて、微笑むときでさえ宿っている。本人は気づいていない。光りの散る笑み。静かに降る雨、庇の薄暗い影。


 この詩的でやわらかく静かな描写はどうだ。


 斯様に綿矢りさの小説の書きだしには魅力的なものが多い。そのバリエーションの多さと真似のできない豊かな表現は丸谷才一夏目漱石かと思ってしまうといったら、褒めすぎか。ま、とにかくぼくは彼女の小説の書きだしが大好きなのである。次はどういう手でくるのかと楽しみにしているのです。


 そんな彼女の本書はとてもコンパクトな連作短編ニ作が収録されている。ここで描かれるのは同棲している男女の道行だ。結婚というゴールに辿りつくかどうかという紆余曲折が描かれる。


 一つの結果に向かって、それに固執する者と現状を維持したまま現実を見すえる力を出せないでいる者。その隔たりがあるからこそ、大きさの違う車輪を左右につけた乗物はふらふらと軌道を定められず進んでゆく。迷いは疑惑と不安を呼び、大きく横たわる倦怠を乗りこえられないままズルズルと泥濘にはまりこんでゆく。


 よくある話だ。答えを出せない男と追いつめられてゆく女。押しつける意志はむしろ嫌悪感を引き出し、二人の間はどんどん離れてゆく。よくある話すぎて、あまりにもドラマ性がない展開に食傷する。あれ?いつものワクワクする躍動感や鮮烈な印象がないぞ。いつもの綿矢りさじゃないぞどうなってんの、これ?


 でも、これって当事者だったらよくわかる話なのだろうと思う。その場に身をおいた二人ならこの感覚は本当によくわかると共感できるのだろう。小品なので、こういう印象なのかもしれない。どうしても話には結びが必要だと頭の片隅で感じているのかもしれない。だから、投げ出された感が残って印象が残らないのかもしれない。と、いろいろ考える。なんだんだいっても、彼女の小説はこれからもずっと読んでいくけどね。