読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

神坂次郎「今日われ生きてあり」

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 本書は、特攻出撃によって散華していった若者たちが愛する家族や世話になった人たちに宛てた手紙、遺書、それから自身の心情を吐露した日記、そして最後まで彼らを支え続けた関係者の談話によって構成された魂の記録である。これまでぼくはこの特攻に関する小説を二冊読んできた。横山秀夫出口のない海」、百田尚樹「永遠の0」である。それぞれ素晴らしい本で、戦争の悲惨さと人間の尊さを高らかに謳いあげていた。

 

 だが先にも書いたとおり、本書は小説ではない。ここにあるのは特攻の当事者たちの生の声だ。だから真実だけがもつ純粋な愛や、激しい慟哭がそのままの形であらわれている。

 

 本書を読んでいるあいだ、何度も目頭が熱くなった。だが、当然のごとくぼくは戦争を知らない。だから本書を読んで涙を流す権利などないのではないかなどと思ってしまうほど、本書に書かれている言葉は崇高だ。とりわけぼくが心を打たれたのは、残してゆく家族のことを心配しながらもどうすることもできずに特攻へ出撃してゆく少年たちの断腸の思いだ。父を空襲で亡くし、母も追いかけるように心労で亡くし、たった一人になって伯父の家に引きとられている妹に宛てた少年の手紙など、残してゆく妹への思いにあふれていて涙がとまらなかった。

 

 なんて理不尽なことだろう。残された親たちの心情も、自身に重ねてみると叫びだしたくなるほどの哀しみにとらわれてしまう。手塩にかけて育てた息子をお国のために取り上げられ、しかも特攻という必ず死ななければならない理不尽な戦いに送り出さなければならない親の気持ちはどれほどのものだろう。

 

 著者はいう『特攻は戦術ではない。指揮官の無能、堕落を示す統率の外道である』と。自らの身を安全におき、君たちのあとに必ずわれわれも特攻で散ってゆくからと激励し送り出した指揮官たち。しかし彼らはもちろん特攻になどいかずに生き残っている。

 

 また、いまでこそ特攻隊員たちに対しての理解は深められているが、敗戦後しばらくは特攻隊員のことを犬死した軍国馬鹿だと罵り蔑む風潮があった。自分の命を犠牲にして少しでも戦局を挽回しようと純粋な使命感で散っていったあの若者たちに対して、どうしてそんなことが言えるのだろうか。彼らの死は無駄だったのか?断腸の思いで息子たちを送りださなければならなかった家族に対して、よくそんな暴言が言えたものだと思う。しかし、戦後日本は変貌し戦争で負った深い傷を戦いに散っていった人たちのせいにしたのである。そんな事実を知るに及んでぼくは底知れぬ無力感にとらわれてしまうのである。

 

 あと一年敗戦がはやければ、特攻などという理不尽な戦略には至らなかったのに。そう思ってみても歴史は変わらない。

 

 戦争は抗えない悲劇だ。それを望んでいる人などいないのに。戦争は大きな過ちだ。誰もそんなことしようとは思ってもいないのに。ぼくたちは戦争を知らない。だが、知ろうと努力することはできる。戦争を過去の遺物だと目を背けずしっかり見つめなおさなければいけない。そうすることによって、知ることによって、その後の行動にも影響がでるはず。
 決して同じ過ちをくりかえさないためにも。