読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

喪失する夏

 山の中をくねくねとS字に曲がりながら道は続いていた。


 父が死んだ時、ぼくは高校生だった。夜中というか朝方に入院していた病院から連絡が入り、母が起しにきたが寝ぼけていたぼくはまったく起きず、母だけが病院に行ったときには、もう父は亡くなったあとだった。父はガンだった。肺を起点に全身を蝕み、最後は腎不全になりはじめて透析した日に容態が急変した。母方の伯父が遺体の首をさわったところ、皮膚の下にはゴツゴツしたものが居座っていたそうだ。


 道は信じられないくらい急な角度で上っていった。まわりは木ばかり。しかし、街中とちがってここは空気もひんやりしている。真夏なのに窓をあけていたらクーラーなど必要ないくらいだ。


 家に帰ってきた父の目はうっすらと開いていた。ぼくは何度も閉じようとしたが、ふさいだ目蓋はぐんにゃりして柔らかくまた開いた。ぼくも弟も死んだ父をみても泣かなかった。もう父の命が長くないとわかっていたので、はやい時点で心の整理はついていたのだ。ただ一つ心のこりだったのは、病気になった最初の頃、家で療養していた父がアイスクリームを食べたいと言った時に、邪魔くさいと断ったことだ。普段なら怒る父なのに、そのときはすんなりと諦めた。その従順で気概のない態度にぼくはすでに父の死を受け入れていたのかもしれない。


 予約しておいたロッジは北欧杉を組み合わせたマシンカットのログハウスだった。荷物を置いてバーベキューの用意をする。子どもたちは初めてのバーベキューに興奮状態だ。妻もそんな子どもたちを見て目を細めている。しあわせなひととき。ぼくは家族に愛されているし、心の底から愛している。


 父親という存在が、ぼくには疎ましかった。なんだか、そりが合わなかった。父と母はよく喧嘩した。夜中に声を荒げる父がぼくは嫌だった。


 笑顔の子どもたち。笑顔の妻。遠くからきこえる知らない鳥の鳴き声。香ばしくて目に痛い煙り。あざやかな空の青と木々の緑。これ以上の満足はない。ぼくは家族と一緒の時間を心から楽しんだ。
 

 ぼくは家族旅行というものをしたことがなかった。父はそういう事をしない人だった。一緒に海に行ったこともなかった。キャッチボールもしなかったし、虫捕りもしたことがなかった。父はそういう人だった。一度だけどこかへ買い物に行った帰りに父が迷ったふりをしてぼくが一度も通ったことのない道へ車を走らせたことがあった。もちろん父はその道を知っていたのだが、子どもだったぼくは父の言葉を鵜呑みにしてドキドキしながら助手席に座っていた。いったいぼくたちはどこへ行くのだろう?このまま家に帰れなかったらどうしょう?心配する気持ちと知らない景色の中をゆく微かな冒険心がせめぎあってぼくはささやかな興奮の中にいた。それが父との一番楽しかった記憶だ。あのワクワクした気持ちはこうして親となったいまでも忘れることのない宝物だ。


 ゆっくりと陽が落ち、風が涼しく頬にあたった。空は赤紫とオレンジのグラデーションに染められ、ぼくは満たされた気持ちで家族を見ながらビールを飲んでいた。今年の夏は少しはやく過ぎさっていくようだ。空気にやさしい闇がぬりこめられ、虫の音が喧しい。ぼくはしあわせだった。

 

 この時点では。

 三年後に家族の一人を失うことなどまだわかっていなかったから。