対話なのだ。二人の人物がいて、話している。それはとてもありふれた風景だ。本書に収録されている六つの短編はすべてそのパターンを踏襲している。そして語られる内容は推測と導きによって進められてゆく。そうなんだね?そうだろう?そうではないか?こういう問いかけに対して相手はほとんど否定しない。片方の推測や憶測はことごとく正解する。否定の少ない会話が延々と続き、その過程でさまざまな事実が浮上する。読者はそれらを拾ってゆくうちに法則を見出してゆく。各短編、シチュエーションは違うのにそれぞれ呼応している。いくつかのキーワードが登場し、それらが事象を結びつけて本書をめぐる世界が構築されてゆく。
いたってナンセンスであり、時に不穏。いままで体験したことのない読書体験だ。明確なストーリーがあるわけでもないのに、そこには確かに世界が存在する。それは可能性だ。本書には狭い穴から覗いた先にある広大な場所の雰囲気がある。読者はその可能性に少なからず刺激を受けることになる。数少ない法則を見出しそこに意味を与えようとするが、本書はそれを容易にさせない。なんとももどかしい本だ。
いたってナンセンスであり、時に不穏。いままで体験したことのない読書体験だ。明確なストーリーがあるわけでもないのに、そこには確かに世界が存在する。それは可能性だ。本書には狭い穴から覗いた先にある広大な場所の雰囲気がある。読者はその可能性に少なからず刺激を受けることになる。数少ない法則を見出しそこに意味を与えようとするが、本書はそれを容易にさせない。なんとももどかしい本だ。
ぼくは円城塔の「これはペンです」を読みかけて、そのときは気分がのらなかったので、読み通すことができなかった。しかし、本書はもどかしい気分になりながらもスイスイと難なく読了した。その円城塔が本書を読んで悔しがっている。そのことはぼくを愉快な気分にさせる。
―――そうではないかね?
「そうですね」
―――自分でも気づいていたんだろう?
「はい、気づいてました」
―――でも、それを素直に認めたくなかった?
「そのとおりです」
―――まあ、きみがそう思ったところで世界は変わることなく続いてゆくんだけどね。
「そうですね」
―――きみのそういう性格は、おそらく小学生時代のいじめに端を発しているのかもしれないね。
「おっしゃるとおりです」
―――ほう、あてずっぽうでも言ってみるもんだね。
「そうですね」
―――なんだこれ・・・。
「なんでしょうか」
―――いや、気にしないでくれ、こっちのことだ。
こんな感じで話はすすんでゆく。どう?気になった?うふふ。