読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

かじいたかし「僕の妹は漢字が読める」

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 この本が成そうとしていることは、もしかすると結構すごいことなのかもしれない。はっきりいって、まだ本書を読んだだけでは、そこのところが判断できない。なぜならこの物語はまだ閉じていないのだ。

 

そう、ここで語られる一見したところなんとも脱力してしまうような『妹萌え』の世界はまったく閉じていないし、風呂敷も広がったままなのだ。

 

 とにかくこの話のおおまかなストーリーをできるだけサラッと紹介しておこう。まず、ページを開くと「二十一世紀」のみなさまへという表題の断り書きに出くわす。本書はイモセ・ギンという二十三世紀の作家の書いた「かんじよむ いもうと」を改題、意訳したものだというのだ。ほう、なるほどね。そういう枠組みなのね。これが第一の取り決めね。でも、続けて読んでいくと不審な一文に出くわす。『本書は漢字を読解できない主人公が叙述する一人称の小説でありながら、文章に漢字が多用されております』は?どゆこと?ちょっと混乱する。漢字が読めない?なんですか、それは?混乱したまま第一章「先生の文学」に進むといきなり『僕の妹は漢字が読める。それは、とても凄いことだ。』とくる。主人公はイモセ・ギン。十七歳の高校男子。彼は一つ年下の妹クロハと共にトウキョウ行きの電車に乗っている。『きらりん!おぱんちゅ おそらいろ』という最新刊を刊行したばかりの現代日本文学を代表する作家オオダイラ・ガイに会いに行くところなのだ。

 

ここらへんからこの主人公たちの暮らす二十三世紀の世の中が『妹萌え』全盛の二次元ヒロインが総理大臣を務める漢字のまったく廃止された、とんでもない未来世界だということがわかってくる。

 

 なんという思い切った設定だろうか。そこから広がるストーリーはどこかほのぼのしていて、いきなりタイムスリップが起こってしまって、大きな謎を孕みながらどんどこ進んでゆく。『妹萌え』を反面で揶揄するギャグと天然で鈍感な主人公の言動が醸し出すゆるい笑いに包まれて、あれよあれよという間に本は結末を迎える。しかし、最初に断ったように本書は多くの疑問を残したままひとまず終わってしまうのだ。

 

 さて、ぼくはこうして本書を読了した。次に作者がどう話を展開するのか楽しみになってきている。とりあえずは、続きの刊行を待つことにしよう。