読書の愉楽

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真野倫平編・訳「グラン=ギニョル傑作選  ベル・エポックの恐怖演劇」

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 19世紀末にパリのモンマルトルの丘のふもとにある路地裏で礼拝堂を改装して作られた小さな劇場が産声をあげた。その劇場では犯罪や性的倒錯をテーマにした猟奇的作品ばかりが上演され、夜になるとパリっ子たちは恐怖とスリルを求めてこの劇場に詰め掛けたという。すなわち、それが後続のミステリ作品に多大な影響を与えることになる『グラン=ギニョル座』の誕生なのである。

 

 グラン = ギニョルという名称はあまりにも馴染み深く、よく知らないなりにもその言葉の発する雰囲気は理解しているつもりだったが、本質である実際の演目に関してはまったく知らなかった。本書には当時実際に上演されたグラン=ギニョルの精髄ともいうべき恐怖演劇作品が七作収録されている。



・「闇の中の接吻」 モーリス・ルヴェル

 

・「幻覚の実験室」 アンドレ・ド・ロルド/アンリ・ボーシュ

 

・「悪魔に会った男」 ガストン・ルルー

 

・「未亡人」 ウジェーヌ・エロ/レオン・アブリク

 

・「安宿の一夜」 シャルル・メレ

 

・「責苦の園」 ピエール・シェーヌ

 

・「怪物を作る男」 マクス・モレー/シャルル・エラン/ポル・デストク



 一読して感じるのは、捻じ曲げられそうな狂気と胡散臭いお化け屋敷的な退廃の匂いである。そこでは人間の業と欲が渦巻き、剥き出しの恐怖が描かれる。どうして恐怖を感じるのか?人はその演劇を見て身体的な苦痛を感じるのである。描かれるのは硫酸をかけられ焼け爛れた顔や、切り刻まれる身体やギロチンによって落とされる首だ。容赦のない目にあまる惨劇。観客はそれを見て心底震え上がる。実際、観劇中に恐怖のあまり失神することもあったそうだ。

 

 こういった恐怖を売り物にする見世物は連綿と続く人類の歴史と共に歩んできた。それは闘技場での決闘から公開処刑にいたるまで、残虐をもとめる裏返しの恐怖として人類が求めてきたものなのだ。

 

 人は血に餓えている。そこにスリルと快楽を見出す。そして安心するのである。自分は大丈夫だ、と。

 

 いくら痛い場面でも、いくら血が流れてもそれは自分とは隔たった世界での出来事である。だから、人はスリルと恐怖を求めるのだ。

 

 本書に収録されている作品は物語展開が安易なものが多く、ラストの予想がつくものも少なくない。そういった点では完成度は低いのかもしれない。だが、そこに至るまでの過程を愉しみ、予想のつくラストの場面(それは惨劇で締めくくられる場合が多い)のカタルシスを味わうのがこの小劇の醍醐味なのだ。本書の中でおもしろかったのは「責苦の庭」だ。このミルボー原作の世紀末文学をネタにした劇はオリジナル要素も多分に含み、その残虐な『肉ひもの刑』の効果も相まってなかなか刺激的な一編となっている。

 

 あとは、巻頭の「闇の中の接吻」の演出が素晴らしい。恋人に硫酸をかけられた男の話なのだが、これがラストの一瞬まで男の顔が見えないように配置されており、惨劇の頂点と相まって公開される男の爛れた顔の効果が絶大なのだ。

 

 というわけで、本書はミステリファンにとっては必読の戯曲集であることは間違いない。いろんな意味で刺激的な一冊なのである。