読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

朝吹真理子「きことわ」

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 貴子と永遠子(とわこ)。だから「きことわ」なのである。葉山にある別荘でめぐりあったふたり。貴子八歳、永遠子十五歳。思い出の中でひときわ輝くあの夏の日。それから二十五年の歳月が流れ、音信不通だったふたりは別荘の解体を前にふたたびまみえることになる。

 

 本書で描かれるのは、頑是無い子ども時代からいきなり二十五年という長い時間を飛び越えた二人の女性の動向である。そこには特別な事件もないし、劇的な展開もない。ただただ濃密な時間がたゆたうように流れていく。だが時は流れていても、そこに経過は感じられない。ぼくたちは切りとられたフレームの時間の中をあっちへ、こっちへと転化させられ、それを違和感としてとらえないまま物語を遡上してゆくのである。この感覚は朝吹作品を読んでみないことにはわからない一種独特の感覚で、これがこの人の作品の最大の武器だといってもいいのではないだろうか。

 

 少なくとも、ぼくは日本文学の中でこの人の描く世界のような作品に接したことはない。明確さを欠いた移り変わりの中で、会話の主体が煙に巻かれ、場面が特定されない状況は、突きつめてゆくとウィリアム・ギャディスの作品世界にもっとも近くなるように思うが本書にはそれほどのテクスト性はない。

 

 深読みの余地はあるが、そこに技巧的な注釈は存在しないのである。だから、一度その魅力にはまればある種の中毒性が感じられ、もっともっとと求める気持ちにさえなってしまう。

 

 とにかく読んでみて欲しい。この感覚はあまりにも新鮮だ。そして意外と薀蓄もあったりするからおもしろい。

 

 「流跡」といい本書といい、ほんとこの人は気持ちよく驚かせてくれる。西村賢太もいいが、朝吹真理子もまったく違うベクトルながら得がたい才能だと思う。今回の芥川賞はほんとに素晴らしい人たちが受賞してよかった。心からそう思うのである。