読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

マーク・Z・ダニエレブスキー「紙葉の家」

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 以前にも一度紹介したのだが、いま一度この奇跡の書といえる本をここに紹介したいと思う。

 

 まさに、この本の出版は一つの事件だった。

 

 本書はいままでにないタイプの作品だ。小説の概念が覆されるといえば大袈裟だろうか?やられてみれば何でもないことなのかもしれないが、誰も思いつかないんだから最初に試みたダニエレブスキーはたいしたものだと思う。

 

 では、どこがスゴイのか?本書の内容はこんな感じだ。



 『「ネイヴィットソン記録」というフィルムに取り憑かれた得体の知れない老人ザンパノが、アパートの一室で身寄りもないまま死んでいった。アパートに住む友人の依頼で、ザンパノの部屋を整理する手伝いをすることになった刺青屋の受付をしている青年トルーアントは、そこで膨大な量のメモの端くれや広告の裏に書き散らかした文章を見つける。それが、「紙葉の家」という作品の原書だった。』



 まず、断っておきたいのが、本書の体裁は普通じゃないということ。だって、本を読むのに、逆さにしたり、グルグル回したりすることなんてある?

 

 そして、特筆すべきは話の核となる「ネイヴィットソン記録」というフィルムの存在感である。

 

 これは、ピューリッツァー賞受賞フォトジャーナリストのウィルとその妻カレン、そして8才の息子チャド、5才の娘デイジーの四人家族がとある家に引っ越したことから怪異に巻き込まれていく過程を記録したフィルムなのだが、これが心底恐ろしいのである。とりたててグロテスクなものが出てくるわけでもないのに、これほど不気味な印象を与えるものをぼくは知らない。まず奇妙なのは、その家の内部は外から測ったよりも大きい。なんの変哲もない家の中に広がる異空間。幽霊や悪魔が出てくるわけでもない。切断された死体や血にまみれた死が待っているわけでもない。ここで描かれる恐怖は未知なるものへの恐怖なのだ。根源に訴えかける恐怖である。

 

 加えて進行する話自体がリアルに感じられるこの注釈の精密さよ。少しうっとおしいのも事実だが、これがすべて丸ごと虚構だとは、驚いてしまう。タイポグラフィーも縦横無尽で、いまだかつて体験したことのない読書体験をもたらしてくれること請け合いだ。「ネイヴィッドソン記録」と並行して進行するジョニー・トルーアントの錯綜した文章も妙に熱っぽくて、こちらの心理面に強く訴えかけてくる。

 

 本書に隠されたキーワードを読み解けばテキストとしてかなり膨大な情報が詰め込まれているのだろう。

 

 ミスプリントさえも意味を持っているというのだから、恐れ入ってしまう。

 

 同じ体裁の本が出ても、もう読むことはないとは思うのだが、この作者が次に仕掛ける知的遊戯がどんなものなのかは興味津々なところである。

 

 とにかく、800ページもあって、大判の二色刷りで、価格も4830円と、本の値段にしては清水の舞台から飛び降りる気でないと買えないような値段なのだが、それでも買ってしまうような魅力を本書は備えている。いまではもう絶版なのかもしれないが、図書館で探してでも読んでみて欲しい。

 

 本書は、ひとつの事件なのだから。