読書の愉楽

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菊地秀行「幽剣抄」

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 菊地秀行の新刊はもはや読書の対象外になって久しい。前にも書いたが、昔は彼の作品を好んで読んでいた時期もあった。「吸血鬼ハンターD」や「エイリアンシリーズ」は大好きだったし、あまた量産されたバイオレンス小説も読んできた。でも、いまでは菊地秀行というだけで即却下という感じだったのだ。だが、これは大きな誤解だった。本書を読んだ後ではそんなこと口が裂けてもいえない。

 

 まだシリーズの一作目しか読んでないが、このシリーズは大いに期待していいシリーズだと言い切ってしまおう。とエラそうなこといってみたが、やはり誤解の上に成り立っている信念というものはすこぶる堅固なもので、ぼく自身も誰かの後押しがなければ本書を読むことはなかったろうと思う。

 

 今回、その後押しをしてくれたのが、本シリーズの最終巻である「妻を背負った男」の解説を書いている宮部みゆきだったのである。解説を読んでみれば大絶賛だ。そうかー、こんなシリーズがあったのかー。

 

 調べてみれば、この幽剣抄シリーズは4冊刊行されていてその他の本の解説者も石田衣良篠田節子縄田一男錚々たるメンバーだった。ううむ、これは黙って見過ごすわけにはいかないぞ。思わず鼻息が荒くなった。本シリーズは菊地秀行が本格的な時代小説に挑戦したシリーズであり、宮部みゆき「あやしー怪」に触発されて書いた怪異譚集である。

 

 本書「幽剣抄」には五つの短編とその間に挿入される四つの掌編が収められている。それぞれの短編は独立していてシリーズを通しての共通キャラクターなどはいない。だからどこから読んでもいいし、いってみれば、四巻出ているシリーズのどの巻から読んでもなんら支障ない。

 

 タイトルにもあるとおり、ここで描かれる怪異譚には剣に生きる武士たちが登場する。彼らが遭遇する怪異が抑えた筆勢で、淡々と語られる。武士を主役に据え、剣を描いていくとなると言わずもがなワンパターンに陥りやすくなるというものだが、そこは熟練の技で時にはユーモラスに、時には凄惨に読者を飽きさせない周到な計算がなされている。第一話「影女房」では、辻斬りに遭って惨殺された町娘の幽霊が浪人中の榊原久馬にとり憑く。自分の仇を討ってくれねば久馬の一族郎党呪い殺すというのである。伯耆流抜刀術の天才児といわれる久馬だが、敵はさらにその上をゆく手練れらしい。幽霊である小夜と久馬の交情や、久馬の母と小夜との嫁姑の確執がユーモラスに描かれるかと思えば、小夜が時折見せる亡者の凄みがピリリと効いて、これを読んでこのシリーズは間違いないと確信した。

 

 第二話「這いずり」は、そのイメージに粟立つ思いがする本巻屈指の傑作怪異譚。這いずりながら必殺の剣を振るう亡霊とは凄まじい。

 

 第三話「帰ってきた十三郎」の印象も強烈だった。幽鬼となって帰ってきた十三郎が常に左手の拳を胸のまん中に当てている姿の意味がわかる場面では戦慄した。

 

 第四話「似たもの同士」はなかなかトリッキーな話で、全貌が見えるまではまさしく夢幻の世界を彷徨っているような不思議な感覚だった。ドッペルゲンガ-を扱っているのだが、一筋縄ではいかない話なのだ。

 

 第五話「宿場の武士」はある意味壮大な話だった。連綿と続く死闘というイメージが素晴らしい。またそれが終焉を迎えたときに日本が迎える歴史的危機が周到に用意されているのも心憎い。

 

 各話の間に挿入される掌編も小粒ながら、それゆえに怪談としてのおもしろさが際立っている。

 

 特に感心したのが「茂助に関わる談合」。不気味さが際立った逸品だ。他の作品もわずか二、三ページの作品ながら、不可思議さ不条理さにおいては短編以上の冴えをみせる。この掌編群は、あの杉浦日向子の「百物語」を彷彿とさせる逸品揃いである。

 

 というわけで、大満足だった。先入観というものは恐ろしいものだ。菊地秀行というだけでまったく目にもとめていなかったが、こんな素晴らしい時代小説怪異譚を書いていたとは。このシリーズは買いである。ぼくも追って読んでいきたいと思う所存であります^^。