この人は政治、経済の分野を舞台に健筆を揮う作家らしいが、生憎一冊も読んだことはない。
なのにどうして本書を手に取ったのかというと、タイトルが秀逸だと思ったのと表紙が藤田新策の絵だ
ったからにすぎない。
業界でも大手の太陽不動産の部長森田はバリバリの企業戦士だったのだが、バブル崩壊と共に手がけて
いたプロジェクトが惨敗したため窓際に追いやられ、早期退職制度への志願を勧められていた。
エリートコースから外れてしまった森田は早期退職を受け入れ、取引相手だった中堅の不動産屋と手を
組み、もう一旗揚げようと独立への一歩を踏みだした。
しかしである。会社を退職した日、森田が家に帰ると妻子の姿はなく、家財道具もほとんどが無くなっ
ていたのだ。青天の霹靂とはこのことだ。まったく身に覚えのない森田はうろたえる。そして、その日
から何も言わずに失踪してしまった家族の行方を追うことになる。
「部長漂流」というからもっと企業絡みの内容なのかと思っていたら、なんのことはない家族に捨てら
れた男の人生の漂流を描いていたのだ。
おもしろくなかったわけではないが、どうも肩透かしをくらった感じである。なぜ自分がそういう仕打
ちを受けなければならないのか気づかないほど家族を顧みることがなかった森田に同情する気になれな
かった。典型的な仕事人間であり、働いて食わせてやってたら文句はないだろうという見地で物を言う
森田が好きになれない。
しかし、第三者的な目でみれば冷静に判断できる類いのことが、いざ自分のことになるとあまりよく見
えてこないのが人間というものなのだ。だから、ぼくも人のことは言えないと思う。そういう意味では
身につまされる部分もあった。良かれと思ってしていることが履き違えたやさしさだったり、誤解の上
で成り立っている押しつけだったりするのである。人間関係はとかく難しい。たとえそれが家族の間で
あってさえもだ。当たり前だと思っていたことが実は長年相手の心に澱のように溜まっていたり、こと
さら気にしてなかった言動が引き金になったりすることもある。相手を思う気持ちがあったとしても心
の奥底では自分を優先していたり、気分で何気なく相手を傷つけることを言ったりすることもある。
だから、よく見ることが大事なのだ。表面上で処理される事柄が多かったとしても、相手をよく見てい
れば真意はつかめる。表情や目の動き、挙動、言葉の端々いろんなことから相手の気持ちを推し量る。
そして、誠意をもって接する。それが出来れば完璧ではないだろうか。
しかし、人間そこまで完璧にはなれない。感情が優先された場合、どうしてもその部分は疎かになる。
おっと、本書と関係ないことを長々と書いてしまった。
とにかく、当初の思惑とは大きく外れていた本書だったが、肩透かしだと思ったにも関わらずいろんな
ことを考えさせられてしまった。そういった意味では有意義な本だったということなのかもしれない。