いわずとしれた、カーのデビュー作である。
ここで断っておきたいのだが、ぼくは当初カーを英国人だと思っていた。なぜかしら、そう思い込んでいた。彼の創造した二大探偵のフェル博士とH・M卿が英国人だったというのもあるのかもしれないが英国に移り住むくらいの英国贔屓だったカーの姿勢が作品に色濃く反映されていたからかもしれない。
そう思い込んでいたカーが実はクイーンと同じアメリカ人だったと知ったときは驚いた。デビューも一年違いというこのミステリ黄金期の二人の作家は、同郷だったのである。作風からは、まったくわからなかった。いまだに信じられないくらいだ。
とまあ、前置きはこのくらいにして「夜歩く」である。
処女作である本書はパリが舞台。カーの初期作品で活躍したパリの予審判事アンリ・バンコランが探偵役を務める。後世に残る綺羅星のごとき傑作群とくらべると見劣りするかもしれないが、それでもぼくはこの作品が好きである。ここでまた話は脱線するのだが、ぼくは密室物に関してあまりいい感情はもっていない。というか、密室物で感心したためしがない。サンテッスンが編集したポケミスの「密室殺人傑作選」を大いなる期待のもと読んでみても、あまりピンとこなかった。それでも懲りずにホックの「密室への招待」も読んでみたがこれも期待ハズレ。こうして「有栖川有栖の密室大図鑑」に紹介されていたチェスタトン「犬のお告げ」やフラナガン「北イタリア物語」やホック「投票ブースの謎」たちは撃沈したのである。また、国書から刊行された隠れた名作で、密室物の傑作だといわれているデレック・スミス「悪魔を呼び起こせ」も読んでみたが、伏線の張り方には感心したが密室トリックに関しては期待ハズレもいいとこだった。
もしかして、ぼくの感性がおかしいのか?と自分を疑ったこともあった。カー自身の作品についても密室講義で有名な「三つの棺」はトリックに関しては肩すかしだった。
しかし、そんな肌の合わない密室物の中にも三作だけ感心した作品があった。
ブランド「ジェミニー・クリケット事件」、ディクスン「妖魔の森の家」、そして本書の三作がそれである。ディクスンは、カーの別名義。おお、さすが密室物の雄カーである。二作も彼の作品が含まれているではないか。
本書の密室トリックは心理トリックである。トリックに無理があるという指摘もあるが、ぼくはおおいに感心した。処女作とはいえ、カー特有の怪奇趣味と不可能犯罪の描かれ方、そして適度なユーモアがあわさって永く記憶に残る作品となりえていると思う。
これ一作でカーが好きになっていた。まだまだ未読の作品は多いが、カーという名はぼくにあこがれを抱かせる。ミステリをかじった者にとっては、誰しもそうなのかもしれないのだが。