天気のいい日曜の朝、あたたかい陽射しをあびて幼い子と公園に遊びに行くような、なんとも平和で愛
らしい幕開けで本書は始まる。父と娘、仲むつまじく暮らす親子。三歳の春子は最近よく言葉をおぼえ、
舌足らずながら色々なことを話してくる。語り手である私は、それがとてもうれしい。毎日が驚きと発見
の日々だ。娘と二人で過ごす時間は何にも変えがたい素敵な時間なのだ。そんな二人の日常が淡々と描か
れる。そして、そこに非日常的なものが侵食してくる。生々しくて、粘液質なもの。オバケ、人ならざる
もの。少しづつあきらかになってゆく主人公を取り巻く世界。また主人公自身もなんらかの影響を受けて
いるらしい。隔離されている地域?過去に起きた大きな事故?何があった?廃線予定地帯とは?防護スー
大きな災害の後に残された人々の日常を描いているらしい。その災害が何なのかは最後まで明確に語ら
れない。主人公の私がそれにどういう風に関わったのかも、彼の妻がその時、どんな目にあったのかも詳
細は明らかにされない。真相は闇の中だ。しかし、その事実があってそれを乗りこえた人々がいる。環境
の変化、世界の変化、すべてを受け入れてなんとか生きていこうとしている人々がいる。それが主人公で
ある私と彼の娘の春子を取りまく世界を描くことによってディティールを語らずとも直球で読者の胸に届
いてくる。ほのぼのと不気味に。
本書には過去に登場したさまざまなメディアのSF的ガジェットが投影されている。と、これはぼくが
勝手に想像しているだけなのだが、映画「遊星からの物体X」やアニメ「風の谷のナウシカ」、ヴォクト
「スラン」やスタージョン「人間以上」などに登場するいろんなイメージが本書を読んでいて思い起こさ
れた。そういった意味では本書はSFそのものなのだが、でもどこか不気味で懐かしい雰囲気がただよっ
ているのは作者の持ち味であり、この人の描く世界の魅力なのだと思う。なんとも不思議な読後感の作品
だった。
尚、本書を読んで3.11東日本大震災のことを想起してしまうのは、とても自然な連想なのだが、驚
と思うのである。