読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

陳浩基「世界を売った男」

 

 

世界を売った男 (文春文庫)

世界を売った男 (文春文庫)

 

 

 ミステリマニアのハートをくすぐるミステリっての?とにかく、本書はそういうミステリマインドにあふれた作品となっている。

 だって、印象的なプロローグの次に語られるのは、どうにもこうにもタイムスリップしたとしか考えられない立ち位置の主人公の身の上なんだから。車の中で目覚めた彼は、六年間の記憶がなくなっていることに気づくのである。いったいこの先どういう展開になるの?って、読んでいるこちらが不安になってしまう。

 このミステリに対する姿勢がいいよね。決してパーフェクトな作品ではないのだが、好感がもてる。大きな謎として、この六年間の記憶喪失があって、メインの事件としてその六年前に起こった陰惨な殺人事件があるのだが、定番ながら堅実な伏線の回収がなされすべてがおさまるべきところに収まって、幕が閉じる。あいや、ラスト一行に余韻をもたせる一言があるっていうのもつけ加えておこう。こうして、書くとなんて完璧なミステリなんだと誤解されそうだが、いやあそうでもないんだなこれが。

 いってみれば、ちょっと小粒ちゃんなのだ。不可解指数はかなり高いミステリなんだけど全体を俯瞰すると事件そのものが動機も含めあまり印象深くない。そこに、舞台が香港だという立地的な馴染みのなさも手伝って、ミステリとしてのカタルシスもそれほどインパクトをうけない結果となってしまった。先によんだ「13・67」は、そういった点ミステリとしてのギミックが人間の行動心理や万国共通的な事柄に特化していたので、すとんとこちらの胸におさまったし、無理なく理解できたから良かった。

 いやいや、ぼくは本書を否定しているわけではないのです。読んで面白いし、ミステリとしての吸引力も素晴らしい。この人はこれからもずっと追いかけていきたいね。