読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

スティーヴン・キング「ペット・セマタリー(上下)」

 

ペット・セマタリー(上) (文春文庫)

ペット・セマタリー(上) (文春文庫)

 
ペット・セマタリー(下) (文春文庫)

ペット・セマタリー(下) (文春文庫)

 

 

 この手の話の嚆矢といえば、ジェイコブズの「猿の手」だ。詳しい紹介は避けるが、あの短い話は起転結のすこぶる秀逸な見本としての骨格と、あまりにも忌まわしい恐怖と、愛する者を失うという究極の哀切が描かれていて一読忘れがたい。

 さて、そこで本書だ。これは、キング版「猿の手」なのだ。ここで描かれるのは愛する者を失う恐怖と悲しみ、そしてそれを乗り越えられずに禁断の選択をしてしまう盲目的な人間の愚かさなのだ。

 キングは、その誰もが経験したくない最悪の状況を持ち前の粘着的な執拗な書き込みでなめるように描いてゆく。だから、この本は最愛の我が子のいる人が読むと立ち直れないほどの恐怖をあたえられる。幸いぼくがこの本を読んだのは1989年当時だったので、二十歳そこそこで未婚だった。だから実感を伴うダメージはあたえられなかった。

 それでも、本書の持つ愛ゆえの忌まわしい恐怖は想像するにあまりある。愛する我が子がいない身であっても「猿の手」の洗礼を受けていたぼくには、二度と経験したくない恐怖でもあったのだ。昨日までとなりにいた愛すべき家族が、この世から消えてしまうという恐怖。独り身のぼくでもその意味は実感できる。想像の範疇だ。それをキングの野郎は、手をとり足をとりほとんど寄り添うようにして、丁寧にやさしく味わわせてくれるのである。

 人は死ぬと腐ってゆく。それは実体だけではなくその精神もなのだろうか。いやいやそんなことはない。でも、死して蘇る者がすべて忌まわしいのはどうしてなのだろう。もしかしてラザロもそうだったのだろうか。