読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「シェイクスピアの記憶」

シェイクスピアの記憶 (岩波文庫 赤792-10)

 

 とっても短いので、鶴橋に食べ歩きに行く電車の中で全部読んじゃった。でもね、短いといって侮ってはいけないのです。なぜなら、これ書いてんのボルヘスだもんね。ちなみに鶴橋でいっとう旨かったのは、ブタのホルモンの鉄板焼きね。これ、最高!!
 
 というわけで、本書なのである。ここには短いながも、四つの短編が収録されていて、タイトルは以下の通り。

 「一九八三年八月二十五日」

 「青い虎」

 「パラケルススの薔薇」

 「シェイクスピアの記憶」


 すべて幻想譚である。といって、そこには色濃く現実が反映されているみたい。ぼくはボルヘスの熱心な研究者ではないので、彼の軌跡はほとんど知らないのだが、でもこれらの短編から受ける憂いや屈折や悲しみや驚嘆には、地続きの共鳴を感じることができる。ここには一見幻想的なシチュエーションを描きながらも、それにオーバーラップするようにまるで薄く向こうが見透かせるようにボルヘスの決して目を合わすことのない姿が重なっているように思えてならない。

 彼の文章は、反復する。ある事柄に関して逆説的に解説し、同じ意味をさらになぞってゆく。それは必要ではない文章のはずだが、確かに存在するし、彼は意図的にそれを繰り返す。それは循環であり、長い長い螺旋を昇ったり下ったりしている行為にも似た酩酊を誘う。そこには迷宮が存在し、読者は無意識のうちにどんどん扉をくぐって元に戻るように夢の世界に彷徨う。  

 それは身についた技法であって、そこに計算は感じられない。だから自然に入りこみ、迷ってしまう。それはボルヘス的な円環迷路だ。膨大な知識と、歴史の中で産み落とされた多くの断片。そこに遊ぶ彼は苦悩しながらも生き生きとしている。その恩恵にあずかりながら読者はひとときの幻想を彷徨うのである。

 ボルヘスの語る幻想は、やはり円環なのだ。ありきたりでさえあるモチーフの中に、縮小された完成した世界を置き、その中で延々と巡る反復が描かれる。記憶の曖昧さ、夢の不条理さ、歴史の壮大さ、様々な要素がボルヘスによって組み合わされ解き放たれる。彼の素っ気ないのに劇的な幕切れが好きだ。なぜか、そこには驚きと共に温もりが感じられるから。