読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

シンギュラリティの犬

 ぼくのおとうさんは、えすえふ作家です。いつもうーんうーんうなりながらパソコンのキーをたたいてます。そんなおとうさんをみて、おかあさんは「くだらない」と言っています。おとうさんのおかげで、ぼくたちが生活できているのに、なんてひどいことを言うんだろうとぼくは腹が立ちます。

 おかあさんは、いつも怒っています。ぼくもおとうさんも一日に三回はおかあさんに怒られます。


 『くつはちゃんとそろえてぬぎなさい。』

 『おしっこしたあと、べんざをもどしておきなさい。』

 『はをみがく時、せんめんじょのカガミにあわをとばさない。』

 『大きな口をあけて、わらわない。』


 もう、うるさくて気が変になりそう。だから、ぼくはおとうさんとよく家出します。おかあさんからにげるためです。このあいだもおとうさんと家をとびだして、ドライブに行きました。そのとき、おとうさんは犬をひいてしまいました。ぼくたちののった車が犬の上を通った時、ゴリッと大きな音がしました。通りすぎてから車をとめて、おとうさんがようすを見に行きました。犬はお腹のところがぺちゃんこになって死んでいたそうです。そのことがあってから、おとうさんはだまりこんでしまいました。ぼくたちがむかっていたのは、大きなみずうみで、ぼくとおとうさんはそこで釣りをすることになっていました。でも、楽しいはずのドライブは、ちっとも楽しくありませんでした。ぼくはたまらなくなっておとうさんに言いました。

 「ねえ、どうしておとうさん、だまってるの?犬をひいちゃったから?」すると、おとうさんはぼんやりした目でぼくを見て「ああ、うん」とちがう人みたいな感じで返事をしました。

 「もう!」ぼくはうでを組んで怒りました。ちっとも楽しくないからしかたありません。

 「ああ、ひろし、ごめんな。おとうさん、かんがえごとしてたんだ。さっきひいた犬がもとで、一本書けそうなんだよ。たしか、グレン・シールドの短編にもあったと思うんだが、あれは犬じゃなくてカンガルーだったんだ。主人公の男はドライブしててカンガルーをひいてしまう。そこへ通りかかった警官が主人公の男と言い合いをしてるうちに、もうひとつの次元が侵食してきて、その世界では車にひかれたのが、その主人公の男で、ひいたのが警察官でという風にどんどんパラレルに事象が分割されていって・・・」

 こうなってしまうと、もうだれにも止められません。おとうさんの集中力はすごいから、だれもその中に入ってはいけないんです。

 「・・・・その分割された事象の中に時間移動をくわえてみたらどうかと思うんだ。そこでうまれるシンギュラリティが物語のキーポイントなんだ。よしよし、いいぞ。これは広がっていける。だから、主人公は思い切って犬にしてみよう。通過点としての対象に相対性をもたせて、時代は加速度的にさかのぼっていく。昔みたスーパーマンの映画を思いだすなあ。時間をさかのぼるときは、いつもあの場面を思い出すんだよ、ひろし。スーパーマンが地球の自転と逆方向に凄いスピードで地球の周りを飛ぶんだ。すると地球の自転がゆるやかになって、やがて逆方向に回りだす。そうすることによって地球の時間を過去に戻してしまうんだ。すごい発想だと思わないか?おとうさんはあの場面をみてSF作家になろうと思ったんだよ」

 こわいくらいはげしく、あつく語るおとうさんの口のはしにはあわがたまってました。こういう時のおとうさんは、怒ってるときのおかあさんとおなじくらいうっとおしい。じぶんのせかいにはいっちゃってるから。じぶんのあたまの中しか見えてないから。おとうさん、おかあさん、もっとぼくを見て。ぼくはここにいるよ。お腹がすいてるんだよ。パンが欲しいよ。ぼくの声はあの人たちにはとどかないのかな。ぼくのこころはすごくさびしいよ。もっとぼくのはなしを聞いてよ。おとうさん、おかあさん。