読書の愉楽

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J・G・バラード「殺す」

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 ロンドン郊外の高級住宅地で未曾有の事件が起こる。そこに居住する10世帯すべての大人32人が殺され、すべての子ども13人が忽然と消失したのである。
 
 警察の捜査では事件の真相は解明されなかった。殺害方法がわかっていても、その動機や子どもたちの消失の謎にまでは行きつかないのだ。事件から2ヶ月後内務省からの任命で首都警察精神医学副顧問、ドクター・リチャード・グレヴィルが再調査におもむくことになる。現場を訪れ、警察の集めた様々なデータを分析するうちにグレヴィルはある真相に到達する。
 
 まずは話の概要というわけで簡単に紹介してみたのだが、こうやって書いてみるといかにも本書がミステリー小説のような印象を受けることに気づいた。断っておくが、本書はミステリではない。バラードが書いているということで一応SF文庫に分類されているが、SFでもない。
 
 事件が語られ、それを再調査していくという過程はミステリの本道だ。そこには謎があり、求めるべき答えがある。だが、とてもはやい段階で読者には犯人の目星がついてしまう。そういった意味ではミステリとしての興趣はないのだ。物語の最初からつきまとう硬質で冷ややかな雰囲気、情緒的描写を排除した報告書めいた文体、カテゴライズされる現象たち、そこから導きだされる答えは謎でもミステリでもなくあまりにも歴然とした必然だ。もうそれにしかたどりつけないのだ。
 
 こうして物語は幕を閉じる。後に残るのは予言者としてのバラードの真意だ。この非現実的な話が、リアルな出来事として、ストンと読む者の胸に落ちつくのはバラードが先見性というよりは千里眼的な力を発揮してわずかな可能性をすくいだしているからだ。物語は続いてゆく。あらゆる可能性をはらんで。起こるべくして起こってしまった事柄は、数々の現象を引き起こしてゆく。それは誰にもとめることができないのだ。