読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

豊﨑由美「ニッポンの書評」

イメージ 1

つい先日、豊﨑由美氏と杉江松恋氏の二人が書評講座「書評の愉悦出張版」というトークイベントを開催

された。西村賢太「どうで死ぬ身の一踊り」(表題作のみ)とJ・P・マンシェット『愚者が出てくる、

城塞が見える」の二作品のどちらかの書評を800字~1200字で、発表する媒体も想定した上で書い

たものを一般から募集して、それについてお二人が採点、論評するというブックレビューもどきを書いて

る者にとっては怖くもあり、楽しみでもあるイベントなのだが、これにぼくは応募してみたのだ。集まっ

た書評は23作品。ぼくは「どうで死ぬ身の一踊り」で応募したのだが、結果は5点満点で、お二人とも

2点の採点という散々なものだった。意見として「どうリライトすればいいか思いつかない」なんて言わ

れたのだが、これがなかなか刺激になった。

そこで、本書の登場だ。ここには豊﨑さんの書評に対する真摯な姿勢が包み隠さず披露されている。一言

断っておきたいが、ご承知のとおりぼくはこのブログで本の感想を書いている。それはいわばなんの制約

も受けない自由気ままな垂れ流し感想みたいなものだ。一応、自分の中では最低限のルールは設けていて

、ミステリ作品に限らずどんな本についてもネタばれはしない、誤字脱字をなくす、間違った情報は書か

ない、この三点だけはいつも気をつけている。しかし、やはり素人ゆえ書評としての自覚と矜持をもった

ものを書いているという自負はまったくなかった。

豊﨑さんは、本書で書評の役割と実践的な書き方考え方を考察し、良い書評と悪い書評の例を挙げたり取

り組む姿勢を提示したりして、わかりやすく自分の考えを述べてゆく。これを読むとプロとアマの違いが

よくわかって興味深い。まず、ぼくのように匿名の環境下で、いってみれば都合が悪くなればすぐに姿を

消せる立ち位置から好き勝手な感想を書いてること自体が書評の姿勢とは一線を画す。返り血を浴びる覚

悟があってこそ、批判もできれば自分の意見を述べてもいい。『自由の怖さや自由が内包する不自由さを

自覚しない人間は、ただの愚か者』だと豊﨑さんは斬りすてる。作品を理解できないことを「難しい、つ

まらない」と言ったり、粗筋や登場人物の名前を平気で間違えたり、めちゃくちゃな文章を書いたり、取

り上げた本に対する愛情やリスペクト精神のない悪口垂れ流しを平気でしたりという悪質な書評ブログや

Amazoのカスタマーレビューに対して豊﨑さんが過剰に言及するのもわかる気がする。ちょっと厳し

い意見だとは思うが、プロの人にとってはそれほどの覚悟でもって書いているのが『書評』だということ

なのだ。と、ここでぼくのこのレビューはすでに800字を大幅に超過してることに気付く。まことに字

数の制限は厳しい。限りある字数の中でその本のあらすじを簡潔に述べ、さらに評までも書いていくなん

てことは技術的にも大変難しい作業なのである。

とまれ、豊﨑さんの書評論は正論でもない。それがおもしろければ粗筋紹介のみの書評であっても全然O

Kだと言うし『対象作品の面白さ(もしくはダメさ加減)が伝わる、読んで面白い芸のある内容なら、粗

筋紹介がまったくない書評であってもかまわない』なんて言ったりもするのである。要するに、その作品

と真剣に取り組んでしっかり真意をくみとり、自分の言葉で読むに耐える面白い書評を書けばいいのだ。

これからは、少し研鑽していこうと思う。字数にも気を配って(この記事は1450字越えだった)、文

章にも気をつけて。考え方が変われば行動も変わるでしょ?そうやってがんばっていこう。