その朽ち果てた小屋は、峠を越えた街道筋に岩に張りつく蟹のような恰好で建っていた。昼日中の陽光にてらされてさえ陰の中に沈みこんだような印象をあたえるその小屋には梅干の種のような婆が一人住んでいた。ガリガリに痩せてあばら骨が浮き出ている貧弱な犬が近寄ってきてこちらを見上げる。物欲しそうな目に目脂がびっしりこびりついていた。
「何も持っておらぬ」
両手を広げて犬にしめして、小屋の敷居をくぐるといきなり目が見えなくなって驚いてしまう。やがて目が慣れてものが見えてくると、竃の前にかがみこんでいる婆の姿が目に入った。
「すまぬ、茶を一杯もらえぬか」
こちらを見上げた婆はひとつお辞儀をすると早速茶を仕度した。
「こちらへお越しくださいませ」そう言って案内する婆のあとについていくと茶色く変色してでこぼこと波打っている畳の部屋に通された。
「何もございませんが、どうぞゆっくりしていってくださいませ」
「かたじけない」
縁の欠けた茶碗の中に薄い色をした茶が入っている。なにを煮出した茶かわからぬが白湯よりはましだろう。そう思って口に含むと予想外の旨さに驚いてしまう。
「ほう、これは甘露。このような茶は飲んだことがない」
婆は顔中をシワにして「お口汚しでございます。テラセンピの根を煮出したものでございます」と言う。
「かようなものは聞いたことがござらぬ。そは、いかなるものか?」
別にさほど興味を惹かれたわけでもなかったのだが、単なる会話の継穂である。
「はい、このあばら家の裏にあります万代山にしか生えない仙人木でございまして、五人の赤子と引き換えに手に入れることができる霊薬でございます」
何気なくふむふむと聞いていて度肝を抜かれた。
「な、なに!赤子とな?」
「はい。さようで」婆は日和の話でもしているようにニコニコと屈託がない。
「また、それは物騒な話ではないか。それも五人と言うたか?」
「はい。五人以上でも以下でもだめなのでございます」
「それはなんとも面妖な。まえからおかしいとはおもうておったが、さてはお前、物の怪のたぐいか?」
そう言いながら、側らの刀を引き寄せ鯉口をきった・・・・つもりだったが、手が動かない。
「まあ、まあ、旦那さま、落ち着きなさいませ。いまからこの婆がおもしろい話をお聞かせしますゆえ」
さきほど飲んだ茶の作用か、身体が動かない。声を出そうにも唸り声が出るばかり。
「背から脂を流す男、目の飛び出た魚、影で光る眼、永遠に噛み続ける子、叫ぶ鳥、血を流す壁」
お題目のように唱える婆の声が薄暗い部屋に染み渡る。動かぬ身体をもぞもぞさせていると目の前にいた婆がいつの間にか、背のほうに移動している。首をめぐらそうとするが、それもままならない。
「かびの生えた木こり、二つ頭の犬、腐った赤子、絡みつく髪の毛、蛆のわいた馬」
詠唱と並行して聞こえてくる不気味な音。シュッ、シュッ、シュッ、シュッ。
刃を研ぐ音だ。ここは黒塚か?こやつが有名な鬼婆か。
婆は呪いの言葉を吐きながら刃を研ぐ。何もできぬまま日は暮れてゆく。