読書の愉楽

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スティーヴン・キング「夕暮れをすぎて」

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 いま文藝春秋のHPで、やっと「悪霊の島」の表紙が確認できた。うれしいことに、また藤田新策の絵だった。前回の「リーシーの物語」は松尾たいこだったので、がっかりしてたのだ。いやいや、決して松尾さんのイラストが嫌いなわけではなくて、彼女のポップな絵は大好きだし河出の奇想コレクションのシリーズはすべて集めたくなるほど魅力的なのだが、やはりキングの本は藤田氏でなくてはいけないのだ。

 だが、この最新短編集の「夕暮れをすぎて」はご覧のとおり藤田氏の表紙ではない。なんとも残念な限りである。

 さて、そんなこんなで本当に久しぶりのキングなのだが、調べてみれば前回読んだのは2005年10月の「不眠症」が最後だった。丁度4年のブランクがあったことになる。確かにキング作品から気持ちが離れはじめていたのは間違いなのだが、やはり未練はあったようでそれ以降に刊行された本はすべて集めてあるのが我ながらおかしい。今回、本来の彼のホラーとしての持ち味を全面に推しだしたといわれている「悪霊の島」が刊行されると知り、昔彼の本を読んでおぼえた興奮がまたよみがえりそうな気がして、なんだか落ち着かない気分になってしまったのは、やはりキングに対する憧憬が薄れていない証拠なのだと思った。これは誇張でもなんでもないのだが、ぼくが翻訳小説を読むきっかけになったのはキングの本を読んだおかげなのだ。それ以前にも海外の小説はミステリを中心に読んではいたのだが、現在のように文学と名のつく作品にまで手を伸ばすようになったのはキングのおかげだといってもいい。彼の本を読んでエンターテイメントと文学の境界を難なく乗り越えられたのだと、いまでも思っている。だから、やはりキングは無視できない存在なのだ。

 というわけで、ようやくこの短編集について語ることができる^^。以前からぼくはキングの短編はまったくお粗末なシロモノだとこき下ろしていた。本当に初期の彼の短編はB級作品そのもので、ディティールの積み重ねが本来の彼の持ち味だったから、それが思う存分できない短編はマンガみたいなプロットが浮き彫りにされて本当にカスみたいな印象しか残らなかったのだ。

 だが、今回この短編集を読んでその前言は撤回しようと思った。本書は本国で刊行された短編集の二分冊の一冊目で七編の短編が収録されている。タイトルは以下のとおり。

 ◇「ウィラ」

 ◆「ジンジャーブレッド・ガール」

 ◇「ハーヴィーの夢」

 ◆「パーキングエリア」

 ◇「エアロバイク」

 ◆「彼らが残したもの」

 ◇「卒業の午後」

 すべてにおいて、以前の彼の短編には感じられなかった深い満足が得られた。どれが一番というのはないのだが、老いて熟成されたキングの手並みは確かに素晴らしい。巻頭の「ウィラ」は、状況が把握できないまま話が進むので少し戸惑うが、なんとも静謐な印象を与える秀作である。すべてが氷解する瞬間は感動的ですらある。次の「ジンジャーブレッド・ガール」は真っ向勝負のエンタメ作品だ。連続殺人鬼に追われる傷ついた女性というよくあるシチュエーションだが、とっかかりの部分で少し疑問があるとはいえ、ページターナーぶりはさすがといわざるを得ない。「ハーヴィーの夢」と「卒業の午後」はキングが夢からインスピを得て書かれた作品。淡々とした日常から狂気ともいえる異形が現出するさまは、戦慄をもよおす。「パーキングエリア」は、キングが実際に体験した出来事と彼お得意の作家物を掛け合わせた小品。「エアロバイク」は、あの「道路ウィルスは北にむかう」や「サン・ドッグ」を想起させるような奇想が全面に押し出された作品で、不気味さと焦りが絶妙に調整されてて読ませる。「彼らが残したもの」は9.11事件を正面から描いた作品。奇妙な出来事が引き起こす顛末を語る筆勢は静かなのだが、底の方から響いてくる重い旋律は、読むものに深い余韻をもたらす。

 以上七編、久しぶりのキング作品を充分堪能した。彼の短編集を読んでこんなに満足したことはない。

 さて、次は待望の「悪霊の島」だ。これは本当に楽しみなのだ。はやくお目にかかりたいものだ。