やはり読んでしまった。
本書に収録されている作家陣は、前回の「名短篇、ここにあり」に収録されていた作家陣より、さらに年代が遡る。そして、一人も読んだことがない。
収録作は以下のとおり。
「華燭」舟橋聖一
「出口入口」永井龍男
「骨」林芙美子
「雲の小径」久生十蘭
「押入の中の鏡花先生」十和田操
「不動図」川口松太郎
「紅梅振袖」川口松太郎
「鬼火」吉屋信子
「とほぼえ」内田百閒
「家霊」岡本かの子
「ぼんち」岩野泡鳴
「ある女の生涯」島崎藤村
ごらんのように、読みすすむにつれて年代を遡る配置になっている。なかでも一番印象深かったのは、一言メッセージでも告げていた岩野泡鳴「ぼんち」である。これは、なんとも形容しがたい作品だ。主人公である『ぼんち』は頭が割れているのである。ラスト近くで医者に「あたまの鉢が砕けて、病人の云う通り、脳味噌が外に出てるようやさかい」などと言われるのである。それなのに彼は芸者遊びに付き合わされ、温泉にまで入ってしまうのである。なんとも奇妙な話だ。悲劇なのに、どこかおかしい。チロチロと笑えるのである。明治の時代にこんな画期的な作品があったとは知らなかった。ちょっと感動。
内田百閒の「とほぼえ」は漱石の「夢十夜」に連なる夢文学の逸品。不安感がヒタヒタと忍び寄ってくる感覚が素晴らしい。
藤村「ある女の生涯」は、サイコさんが登場して驚かしてくれる。北村・宮部両氏は、最後の対談でこの作品の狂気の描き方が現代的だと言ってるが、昔も今も狂気に変わりはないだろう。
ニ作品も収録されている川口松太郎はどちらも好み。「不動図」は誰からも嫌われるお不動さんの絵の話である。ぼくは、これ喜劇的なとらえ方をしたのだが、宮部氏は可哀相な話だと力説する。人によってとりかたは千差万別なんだなぁ。「紅梅振袖」は今の時代では絶対成立しないお話。古き良き時代の人情馬鹿物語である。
印象に残ったのは、以上の作品。他については、ま、どうでもいいかって感じだ。
こうして感想書いてみると、今回は結構気に入った作品が多かったかな。やっぱりこういうアンソロジーは外せないなぁ^^。