高校時代を振り返ると、自分はなんと愚かで世間知らずだったのかと驚いてしまう。
それが特権なのだとは思うが、やはりあの頃というのは超がつくバカの時代だったと思うのである。
それに加えて、いかに自分が宙ぶらりんだったのかという事も思い知らされる。まだ世間を知らず、学生という安全圏の中で精一杯背伸びしようとした自分。打たれることを知らず、かといって人に語るほどの人生経験もない薄っぺらい自分。なのに、いっぱしの口を利いて何かを掴もうと必死になっていた自分。異性の目を気にし、はったりと虚勢で武装していたちっぽけな自分。
なんとも無様な自分がそこにいるのである。しかしそれでもあの頃は楽しかった。世知辛い世の中と一線を引いた世界に身をおき、責任のないおおらかな青春を全身で満喫していた。知らないがゆえに、恐れることのない無知な自分に気づいていなかった。
本書を読んでそういった事を懐かしく、且つ痛く思い出した。青春の甘さと苦さを強く噛みしめた。
こう書けば、この本ってとても思索的でまじめな印象を受ける青春グラフティなのかなと思われる方もいるかもしれない。
いやいやそんなことないのである。本書は、美少女戦士である女子高生とごくごく平凡な男子高校生が未知の存在であるチェーンソー男と果てしなく戦い続けるお話なのだ。単純に解説すれば、モンスターハンターの意匠を凝らしたボーイ・ミーツ・ガールのお話となる。
これじゃまったく萌え系のアニメではないか。バカバカしすぎて笑ってしまう。
しかし、受ける印象は微妙に違ってくるのだ。これは作者の匙加減なのだろうが、読んでいるとなんとも複雑な心境になってくる。冒頭で書いたようなことがグルグルと頭の中をかけめぐるようになる。まだ可能性が残されている学生時代。自分が何をしたいのか、いったい何になりたいのか。このまま無難に卒業して就職して、なんとなく結婚して子どもをつくり、あくせく働いて年老いて死んでゆくだけの人生。それが悪いとはいわないが、自分はそれだけのことしか出来ない自分なんだろうか?普通の人生を平凡にそれなりに生きていくだけの自分でしかないんだろうか?
まだ見ぬ未来にそういった平凡な自分の姿を重ねあわせて、ほんとにそれでいいのか?と思ったことはある。学生時代ってそんなものだ。まだ可能性が存在するから始末が悪い。
そんな日常を打破するべく主人公である陽介と絵理は、チェーンソー男と死闘を繰り広げるのだ。消極的な日常を生きる陽介と積極的な絵理は、陰陽であって同類だ。二人は、死闘を通じてお互い惹かれあっていく。
この際、解説で西尾維新が指摘していることは無視してしまう。ぼくは、こう感じたというわけだ。なんだかよくわからない感想になってしまったが、とにかくそういうこと。セコい奴だが、なかなかクワセモノでもあるこの滝本竜彦は、これからも読んでいきたいと思う。
好きにはなれないが、ちょっと気になるという感じなのだ^^。